pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

読み返した~

 四月三十日に続編が出るし、七月にはTVアニメが放映される予定だし、最近読んでいなかったから新鮮な気持ちで読めるし、で読み返しました。

 

 

 

 短編集の『巴里マカロンの謎』は今夜読みます。三部作を景気良く並べたのは、昨夜までで三部作を読み終えたから。そして読み終わったら感想を書くのに、なんでまとめて書くのかというと、シリーズだし二回目だと思うしってのもありますが、昨日まではネタがあったからです。厳密に言うと、もう一作読んでいた漫画があるのですが、今、思い出した(オイ

 読み直して改めて思ったのですが、小山内さんも小鳩くんも、大概だな。そして堂島くん。最初の印象は小鳩くん目線なのでアレって感じですが、いい奴なんですよ。はい。自分の印象がテキトーだな、と思ったのは、小山内さんと小鳩くん、夏期限定で、ああなっていたんですねぇ。あっ、そっか。だから秋期限定で別々に青春しちゃう感じで始まっていたんだな。自分の中では小鳩くんが言うように、二人は『互恵関係』だと思っていたから、別にそれぞれが他の人と付き合ったって問題ないよな、と考えていたから、夏期のラストがああだったとは思っていなかったです。

 という事はTVアニメの第一期が春期と夏期の二冊にまたがるって噂を聞いたような気がするので、うは、なかなかヘビーなラストやも知れぬ。ペケッターでね、韓国のアニメ『氷菓』ファンの人がラフラブなホタエルのイラストを載せてみえてね、んでその方が『小市民』シリーズのアニメ化を楽しみにしているみたいなペケッターを流してみえるのですよ。原作小説読んでみえるならいいけれど、もしも未読なら、やられてまうのではないかしらん・・・まぁそれも楽しみなのか(そうなのか?

 そういえば物語の舞台になった『木良市』のモデルが岐阜市であると知ったのは『巴里マカロン』で名古屋までの時間が二十分みたいな話が出ていて、JRの快速で岐阜までは二十分だから、たぶんそうだろうなぁ、と。その岐阜市だと仮定して読み返すと、JRの駅周辺から岐阜城までなら若干解るので、ああ、こういう感じなんだろうなぁ、と。んでも説明からすると名鉄岐阜駅に準えた存在は、木良市にはない、と。ちょいと切ないな・・・

 最後にTVアニメのPVを貼っておきませう。楽しみ楽しみ。


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哲学は苦手

 ちょろりと前にペケッターから回ってきた本が気になって、購読してみました。

 

 ペケッターネタになったのは、著者に研究内容を批判的評価された東大の教授が、この方の著作を出版しないよう、関係人脈を動員して圧力をかけてきたという、うぉ、前近代的な事を仕掛けてやがるな、という話があったので、興味を持ったと言っても過言ではない(オイ

 その件で自分が妄想したのは仏教学界というのは周辺も含めて狭いのだろうな、と。自分が興味を持っている日本史(特に中世史)は、ここ十数年、建設的な研究議論は多いけど、論者を物理的、経済的に「潰す」ような行為は、ほぼ聞こえてこない。古文書の誤読や解釈間違いの指摘なんて、研究職だけでなく、裾野も広がっており(自分なんか古文書読めないから最外縁の読者、好事家?みたいなもんだけど)、つまり精査の目は一杯あって、整合性がないとか理不尽とかは、あっという間に広がってやった人の信用がた落ちになるからだと思うのですが(信用が落ちると論文を参考にされたり引用されたりすることが減るから研究者として孤立する事になり、お呼びがかからなくなる)、仏教学界って教職、研究職、学芸員として就職する以外に生活費を稼ぐ道って、日本史界隈よりも少ない気がするし、そういう職を抑えてしまえば反対論者を物理的に干す事は可能なんだなぁ、と。そしてそういう方法をとった東大の教授、よっぽど自分の論に自信がないのか、と、すげえがっかり研究者なのかと理解したり。そういう人に教授職を与えるって事は、コネ世界なんだなぁ・・・外側の世界から離れられても仕方ない世界なのかも。

 と、本の内容の1%にも当たらない部分で多く書いてしまった。

 内容は題名にもあるように二千年以上前に生きたブッダは、近現代人が考えるような人ではないよ、という話で、まぁ司祭階級が最上のカースト制世界で、輪廻が苦行であり、それを断ち切って生まれ変わりを止めて、あの世で永遠の生を得る事が最終目的という宗教観らしいので、違うよね。生きる事そのものが苦行という世界なんですもの。考えてみれば日本から飢餓が亡くなったのって1950年代後半とか、六十年代とか、そういう感じなので、庶民にとっては食う事さえやっとの世界など「地獄」といって差し支えない。そしてバラモン教では司祭に布施して儀式を行ってもらわないと輪廻から解脱できないって話なので、金のない人は、ずーっと救われないシステム。

 これに異を唱えたのがクシャトリヤ以下、実際に統治していた階層の人々で、ブッダの出自もそれ。ブッダが新しいところは、悟りを得れば最下層の人間でも解脱する事ができる機会平等を唱えたところで、それ以外は平等は唱えていない。その悟りにしても欲とか執着とか様々な欲望を捨て去る事で得られるって、それは結構非人間的だよな、と。

 でも人間である事が苦行であり、輪廻によって死んでも生まれ変わって、苦行が永遠に繰り返されるという世界観ならば、そこから超越して救われたいなら、人間以上になって人間を辞めなければならない訳で、古代インド由来の宗教はだいたいそんな感じだと。

 しかし哲学用語っていうのが自分は苦手というか、意味を想像できない。最終章の結論で上記みたいな話だな、と思ったけど、そうぢゃないかも知れないし、一般的な日本人の「仏教」とはかけ離れている感じもあります。それを手塚治虫氏の漫画も含めて、現代人の感覚で理解しようとすると、現代人的な神話のブッダになっちゃうよ、というのが本の趣旨なのかなぁ。

 そんな感じでした。

音楽でポチッとな

 ZIP-FMで、いい、いい!!って言う人がいたので気が付いたら録画していました。

 

 音楽、それもJAZZを志す青年たちの物語、というやつで、こういう話って成長して成功しないといけないお約束があるから、物語的は流れが読めて安心なんですが、皆が皆才能あふれるではなく、ドラムは友人のサックスに感動し、全国大会を目指した高校時代のサッカーと比べて緩くお遊びの大学の部活が物足らなく感じていた男が、超絶技巧派のピアノや表現力の友人に食らいつき、そのレベルに追いつこうとしているキャラなのが良かったです。

 後日譚的なインタビューで、そいつが音楽とは無関係な営業職についているところからして、映画の物語の結末を悟ってしまうのですが。彼にとって音楽は、サックスとピアノの二人と演奏するのが楽しくて大事であったのであって、ドラムを続けるのは二の次だったって事だよなぁ、と。

 一番びっくりしたのは、ラストの演奏。諸々の事情でサックスとドラムだけでライブを成立させるって、最後の最後は腕一本しか演奏に使えないピアノとのセッションって、すごいなぁ。JAZZの可能性って、こんなにあるんだ、と。

 なのでサウンドトラックのCDをポチッとしてしまいました。はい。

 

 日曜日にポテ・・・ポトフ・・・なんでもいいや、を作っていた時に読み上げました。一時間半弱火で煮込む時間があるので、分厚い本を読むには最適ですよねぇ(え

 ローマ帝国東西分裂の理由を、残っている資料から代表される人物の、当時の評価を洗い出し、そこから突き詰めていくって感じ。読んでいる最中は話がどこに向かうのか判らなかったのですが、結論を読んで腑に落ちました。何故東ローマ帝国が『ピザンツ帝国』として、その後何百年も生き残ったのか、何故西ローマ帝国が自壊するように滅んでいったのか。

 最後の全ローマ単独皇帝とも言うべきテオドシウス一世の治世は、反乱鎮圧や外敵との戦争で、首都不在が常。留守をあずかる筈の副帝は彼の幼い息子たちで統治能力はなし。その状態で東のコンスタンチノープルでは能力、実績第一の官僚や宦官が勢力を伸ばす・・・裏を返せば彼らが政府を組織し、運営していたという事で、中央集権官僚制が成立しつつあった、と。

 しかし西のミラノ(ラテン名忘れた)や古都ローマはそうならず、ミラノは軍人、それも『蛮族』系でローマ文化に寄せようとして、結局仲間入りを拒絶された人々が運営し、古都ローマは絶大な財力を持ちつつも排他的で利己的になってしまい、かつてローマが強大ななった理由、他者を自らに内包し、取り込んでいくという能力さえ失った、気位ばかり高くて統治能力を喪失した元老院貴族階層が主導権を握っているという・・・どのくらい政治力がないかというと大消費都市ローマで賄う穀物供給さえ、皇帝に懇願して産地からの輸送を命じてもらわなければならないほど。支配領域で第一の穀倉地帯である北アフリカ、現在のチェニジアあたりはイタリア半島と目と鼻の先なのに。

 つまり次世代へとつなぐ統治機構を整えつつあった東ローマと、統治能力の喪失を指をくわえて見ているだけで、それに融合しようとした軍人たちの西ローマでは、まぁ滅亡するのはどちらかといったら、解りますわな。

 ちょっと西ローマは現代の日本を彷彿とさせるところがありますね。自分も含めて。いや昨日、ファスナー修理の案件がお客さんからきたけど、メーカーに確認したら新品を買う方が値段も時間もかからないって現実が返ってきましてね。二十年ぐらい前から電化製品は修理するより新品買う方が時間もお金もかからないって感じになりましたが、衣服もそういう段階になったんだなぁ。こういう状況を知ると「モノづくり立国(笑)」って気分になりますね。もう日本でつくれるものなんて、数えるほどしかないのではないかしら。修理する為の部品をストックしてない、できないって事は、その製品は日本国内でつくっていないって事だものね。

 なんかね、この当時の元老院貴族たちって、古文や漢文教育を不要って言っている「愛国者」の姿とだぶるのですよ。自分たちの根幹を否定しているのに「愛国」って、根無し草に見えるのよね。

録画映像増えてしまた。

 毎週録画する作品にWOWOWドラマ『白暮のクロニクル』を加えてしまいました。ゆうきまさみさんの漫画を原作とするドラマですが、大筋だけ抑えて、大胆に改変・・・というか一話30分で漫画一巻の大半をこなすという大なたぶり。ゆうきまさみさんは自分の演出の粗が見えるから、映像化する際は原作に忠実にしないでくださいとか書いて見えた人なので(うろ覚え)、こういうのも問題なしなんですね。自分的には主人公雪村の雰囲気が異なっているので、時に気にしませんが。というか一番気になっていたのは厚労省の久保園さんを光石研さんが演じられているってとこでして、他の俳優さんは存じ上げないので、ま、いっかと(オイ

 あとは・・・『機動警察パトレイバー』で後藤隊長を演じていた大林隆介さんが重要な役を演じておられるのが気になっているところ。最終話までやってくれる事を祈りましょう・・・しかしこれで金曜日の夜に録画する番組が三つに増えてしまた。何週間か気にWOWOWシネマで『キルビル』が放映されるのです。何気に自分、まだ見ていなかったので録画予約したのですが、うちの機械、同時に二番組録画してくれるのは知っているのですが、三番組は無理だったような気がする・・・うーむ・・・何かあきらめないといけませんかな。

 んで昨夜の大河ドラマ『光る君へ』。直秀がこんなに早く退場するとは思っていませんでした。南無。あと、最初は別の貴族のちゃちゃが入って鳥野辺・・・聞いた瞬間、やべぇ!!って思いました。平安時代の京の死体捨て場だから・・・ペケッターでの考察を読んでいるうちに、これ、三郎が手心を加えて助けてくれよってつもりで渡した心づけを「牢では手荒な事をしなくていいけど、右大臣家に盗みに入った不届きな盗賊だから、解るよね?」って意味に検非違使役人が忖度して、一人につきむち打ち三十回やるより、バラしちまった方が楽だよなぁ!って発想になって、ああなっちまったのかと妄想すると、うはー・・・三郎・・・中途半端な仏心で業が深くなっちまっただよ。と思いました。

 『ダンジョン飯』ナマリ登場ですね。躊躇なく盾にされて可哀そす。タンス役を井上和彦さんが演じられていて、お爺さん役も板についてこられたなぁ、とか思ったり(TVアニメ『映像研には手を出すな』の時も思った)、何気に次回ってカエルルックスタイルになる時だよね。うぷぷぷ。楽しみです。

 『フリーレン』フランメが可愛い回でした。これ、ゼーリエの思い出の中のフランメなんですよね。どーでもいい感じで弟子とかの事、喋っているけれども、こういうところがゼーリエの可愛いところですな。またアニメオリジナルシーンが良かった、という奴。

 『魔女と野獣』何気に山路和弘さんの悪役演技って初めて接するのかも知れません。ここ数年、そんなにアニメとか吹き替え作品とか見ていないので。昨年から今年にかけてが自分としては近年稀に見るTVアニメ視聴期であります。化けの皮を脱ぎ捨てて本性発揮した感じ。原作読んでいるからオチ知っていてるけれど、あの情けない感じ、どうやって演じてくれるのかしら。楽しみ楽しみ。

 他は明日に回します。

ミステリ・ガンダム

 それが発売された時は「人狼ガンダム?またぞろ、ぼくがかんがえたつおいガンダムが登場する奴なんでしょ?」と思ったので気にも留めなかったのですが、本屋さんでお試し版に触れたら、思っていたのと違ったので買いました。

 

 貼り付けを探していたら二巻が出てきたので、え?と思ったら今月二十六日に発売されるのですね。びっくりした。

 舞台はZガンダムの、アクシズが帰還して三つ巴戦が展開。シロッコがクーデターを起こす前のティターンズに属する、それもバスク・オム大佐麾下のペガサス級揚陸艦ガンダムものお約束の新型試作機のテストを行う予定で宇宙を航行中にエゥーゴの、百式を含む部隊に強襲され、護衛のMSマラサイの部隊は全滅。推進器を破壊されるわ、戦死したものの中に保安部隊が含まれるわ、つまり、漂流して救援待ちの宇宙船という、密室状態、警官不在という、推理小説スキーにはたまらぬ状況。その上、同盟関係にある筈のアクシズの部隊まで攻撃してくる始末。それは命令違反を犯してまで新型機を動かしたパイロットによって撃退できたものの、帰還したパイロットはコクピットを出てくる事無く射殺体として発見される。コクピットハッチのログを調べると、パイロットの乗り降りしたタイミング以外は射殺体発見時以外にはナシ。密室の宇宙船の中の密室殺人事件ですよ!!

 被害者であるパイロットは新型機のテストパイロットに選ばれるぐらいなので『エース』らしいけど、人格的には問題ありで、数々のハラスメントを仕掛けており、皆見て見ぬふり。それどころか保安部隊が全滅している事もあり、真相の判明なんて不可能と見た艦長の「十二時間後に犯人投票して、一番投票を得たものを吊るす」宣言が出る始末。人狼ゲームぢゃん。

 そのままでいればパワハラを受けていた立場の弱い整備士が吊られる事は明白であり、そして同じようにセクハラを受けそうになっていた補欠パイロットも、それを他人に相談していた事から容疑者として吊られかねない。艦内での立場が弱い二人が探偵役となって真犯人を突き止める。というもの。

 あのバスク・オム麾下の艦とか、エゥーゴアクシズに航路が漏れて奇襲されるとか、胡乱な事が一杯で、おそらくスパイも紛れ込んでいる。探偵役の娘・・・もしかしたらそういう役目を負っているんぢゃないのかしらん。実はシロッコの息がかかっているとか、ありそう。

 ガンダムものって『新型機』とか『戦闘』に焦点が当てられている作品が多いのですけれけど、こういう推理ものっていうのもいいですよね。絵柄が自分好みなのもありますが。次巻が楽しみです。

 

 その、戦闘とか新型機とかが焦点になっている物語も大詰めです。ソーラ・レイの狙いは外れたけれど、二撃目のエネルギーは充填されている。しかし『南洋同盟』側の元々の計画ではなくカーラの個人的な復讐・・・一国家消滅を目論むという狂気の沙汰にすり替わり、もともとの計画者は殺されてしまうという・・・連邦側の小母様科学者・・・強化人間として育成された『彼』を育ててきて、寿命だからと遺棄された存在・・・彼女なりに愛して育ててきて、残された余命を平穏に送って欲しいと願っていたのに、独善的な未来を夢見て巨大なテロ組織首謀者になってしまったけれども、その死を知って涙を流す姿を見て、愛する者を殺さなければならなかった彼女の感情というものが、すみません、好物です!!(人でなし

 次巻、どうなるのかなぁ。決戦前編って感じですかねぇ。

『三体』読了?

 はい。SF小説『三体Ⅲ 死神永生』を、後半は流し読み終えました。

 

 三月は図書館の整理期間が入るのでひと月以上借り続けられる、十冊まで借りられる、という時期が入るのです。だから分厚いシリーズものでも読めるやろ、と脳死状態で借りてしまうのですが、だからといってスラスラ読める訳でもなく、まぁ、はい、この作品も理系知識とか理解力が不足しているので、なんとなーくお話の筋がつかめたぐらいで諦めました(オイ

 第一部は敵意ある異星知生体との接触から始まり(TVドラマ版で見た)、第二部は害意、と言えるのかどうか、まるで小うるさい羽虫を処分するように簡単に恒星を消してしまえる第三者を利用して地球人類が三体人は抑止するという形で均衡を得、この第三部では一転して科学技術を供与しながら虎視眈々と地球人類の隙を狙い、してやったり!!されたと思ったら地球からはるか離れた宇宙船によって三体星系は座標を宇宙に暴露され、数年後に三体母星系は消滅。地球人類もいつかこの攻撃を受けると、戦々恐々していたら、三体星系とはまったく別な方法で抹殺されるという・・・んが、その方法が物語の結末への伏線みたいになっていて・・・究極的にはエントロピーの果ての、宇宙の再生につながる物語なんだなーっと、自分は感じました。

 ただその破滅への仕方というか、これは状況証拠からの地球人類の妄想なのですが、地球人類はおろか三体人さえ及びもつかない高度な科学技術を持った知生体たちは、低次元化攻撃という破滅的な方法で戦争を行っており(この方法で太陽系は三次元から二次元にされてしまった)、しかもその低次元化を押しとどめる方法を知らないので、ばらまかれた低次元化は究極的には宇宙全てを覆いつくしてしまうという、地球人類も三体人も、ここにきては主役足りえない脱力感が襲います。

 一応、一抹の希望というのか、歴史の見届け人みたいに一組の地球人類と三体人がつくったAIが終末を乗り越えて新たな宇宙の始まりに向かうのですが・・・はい。

 自分が接してきた、こういう地球人類を遥かにこえる知生体が登場する物語って、パートナーか資源かという違いはあっても地球人類を利用するってスタンスがあったのですが、ここまで歯牙にもかけない存在が登場し、しかも無責任に宇宙の破滅を垂れ流している(彼らが無造作にそういう事象をばらまくのは、始めから自分たちを低次元化しているから生き延びられる、という理屈らしいけれども、それってどうなんでしょうね。まぁ自分たちの常識を遥かにこえる存在だから理解できないのは当然か)。そういうのは初めてかも。

 何かの風刺とか理解すれば、使用すれば自らが何度破滅してもおつりが出てしまうぐらいの核兵器を抱え込んでにらみ合っている自称『大国』たちのことかなぁ、とか思いますが。それは読者の自由って事でいいよね?

 たぶん違うと思うけれども読み終わったあと、谷甲州さんの『航空宇宙軍史』シリーズを思い出しました。時系列最終巻だけは何かよくわかんなかったのも思い出して。また読み返してみないといけませんね。

 『三体』は・・・はい。こんな感じで(オイ

『北方領土』を返さない理由

 日ロ平和条約の前提条件である『北方領土』の返還交渉が日本の徒労に終わるのが何故なのか、自分的には「大陸国家は寸土でも国土(占領地)を失うのを嫌う」っていう感情論かと思っていたのですが、もっと切実な問題だとこの本を読んで理解しました。

 

 まず最初に言いたい事。朝日新聞出版さん、校正して。誤字というか脱字というか、色々とツッコミどころが一杯あるです。文章内容に対してではなく、まぁ色々と。ちゃんと目を通して、二版以降は直すところは直してください・・・

 んで内容はですね、ソ連時代から現代ロシアに至るまでの極東太平洋艦隊を中心に『超大国』ロシアの核戦略について語られている訳ですが、ソ連アメリカの核兵器に量だけでなく質(運用)についても追いついたのって、1980年代になってからなんですね。もうソ連崩壊直前ぢゃん。核兵器っていうと大陸弾道弾みたいな大気圏離脱できるぐらいの大型ロケットを想像してしまうのですが、それってある意味固定砲台で、もう位置ばれているから先制核攻撃に撃破されてしまう可能性が高い。んぢゃあ報復攻撃はなにでやるかというと原子力潜水艦から発射する核ミサイルなんですね。乗組員のストレスとか水や空気、食糧の補給を考えなければほぼ無限に潜水し航行できる存在。秘匿性も高いし移動可能なので、陸上移動の発射台と比べても優秀。

 ただしロシアにとっての敵役であるアメリカや日本にも対抗手段があり、対潜攻撃能力は、おそらくこの二国は世界トップレベル。公海上に出れば航路を把握され、戦争状態になれば即座に攻撃にさらされる可能性が高い。なのでロシアの原潜は基本領海内を回遊している感じ。それが極東ではオホーツク海であり、ソ連崩壊以降、多くの艦船を維持できず放棄してきたロシア海軍海上戦力はアメリカ太平洋艦隊に対抗できないほどの数的劣勢状態。これでカムチャッカ半島から千島列島、北海道で囲まれているオホーツク海を守らなきゃならないとなると、対艦潜水艦を出撃させるとか、地対艦ミサイルとか、航空部隊とかを千島列島に展開して敵艦隊のオホーツク海への侵入を阻止しなければならない。となると日本の北方領土はその防衛基地の南端を担う訳で、もはや膨大な戦略核兵器のみでしか『超大国』たりえないロシアにとって、日本の北方領土は国防のみならず『超大国』の体面を保つためにも重要な防衛線ですよね。これを日本に『返還』するには少なくとも日本がロシアの核の傘に入って、対アメリカ戦を戦える同盟国にならなければならず、シーレーンが生命線である日本にとってはできない相談。

 となるとロシアにとって北方領土が手放しても構わない辺境になるとはどういう状況か、というと、ロシアという国家がウラル山脈以西のヨーロッパ国家に縮小して極東に領土を持たない状態か、もしくは核兵器放射線を発生するだけの厄介な代物になるか、しかないと無理かなぁ、と。まぁそんな時代がすぐに来るとは思えませんけどね。

 あとアメリカって結構重要な機密がソ連に漏れていたのねーっと。それも大した金額が報酬として支払われた訳ではない。原爆技術のソ連への流出でもそうだけど、アメリカ人って自国のことを信じていなくて、世界の均衡を保つためには外国に技術が流出してパワーバランスをとる方がいいって思っている人が少なからずいるって事なんですかね。気持ちは分かるし(自分も日本国政府というものを全面的に信用するかと言ったら、そんな事はないし。彼らは彼らの理屈で国民を保護している訳であって、彼らにとって不都合な人は国民のカテゴリーには入らない、入れたくないだろう事も)、自国政府への不信、批判、監視の気持ちが国家を健全たらしめる、とも思ったりもするし。

 そーんな事をあれこれ妄想できる一冊でした。