pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

哲学は苦手

 ちょろりと前にペケッターから回ってきた本が気になって、購読してみました。

 

 ペケッターネタになったのは、著者に研究内容を批判的評価された東大の教授が、この方の著作を出版しないよう、関係人脈を動員して圧力をかけてきたという、うぉ、前近代的な事を仕掛けてやがるな、という話があったので、興味を持ったと言っても過言ではない(オイ

 その件で自分が妄想したのは仏教学界というのは周辺も含めて狭いのだろうな、と。自分が興味を持っている日本史(特に中世史)は、ここ十数年、建設的な研究議論は多いけど、論者を物理的、経済的に「潰す」ような行為は、ほぼ聞こえてこない。古文書の誤読や解釈間違いの指摘なんて、研究職だけでなく、裾野も広がっており(自分なんか古文書読めないから最外縁の読者、好事家?みたいなもんだけど)、つまり精査の目は一杯あって、整合性がないとか理不尽とかは、あっという間に広がってやった人の信用がた落ちになるからだと思うのですが(信用が落ちると論文を参考にされたり引用されたりすることが減るから研究者として孤立する事になり、お呼びがかからなくなる)、仏教学界って教職、研究職、学芸員として就職する以外に生活費を稼ぐ道って、日本史界隈よりも少ない気がするし、そういう職を抑えてしまえば反対論者を物理的に干す事は可能なんだなぁ、と。そしてそういう方法をとった東大の教授、よっぽど自分の論に自信がないのか、と、すげえがっかり研究者なのかと理解したり。そういう人に教授職を与えるって事は、コネ世界なんだなぁ・・・外側の世界から離れられても仕方ない世界なのかも。

 と、本の内容の1%にも当たらない部分で多く書いてしまった。

 内容は題名にもあるように二千年以上前に生きたブッダは、近現代人が考えるような人ではないよ、という話で、まぁ司祭階級が最上のカースト制世界で、輪廻が苦行であり、それを断ち切って生まれ変わりを止めて、あの世で永遠の生を得る事が最終目的という宗教観らしいので、違うよね。生きる事そのものが苦行という世界なんですもの。考えてみれば日本から飢餓が亡くなったのって1950年代後半とか、六十年代とか、そういう感じなので、庶民にとっては食う事さえやっとの世界など「地獄」といって差し支えない。そしてバラモン教では司祭に布施して儀式を行ってもらわないと輪廻から解脱できないって話なので、金のない人は、ずーっと救われないシステム。

 これに異を唱えたのがクシャトリヤ以下、実際に統治していた階層の人々で、ブッダの出自もそれ。ブッダが新しいところは、悟りを得れば最下層の人間でも解脱する事ができる機会平等を唱えたところで、それ以外は平等は唱えていない。その悟りにしても欲とか執着とか様々な欲望を捨て去る事で得られるって、それは結構非人間的だよな、と。

 でも人間である事が苦行であり、輪廻によって死んでも生まれ変わって、苦行が永遠に繰り返されるという世界観ならば、そこから超越して救われたいなら、人間以上になって人間を辞めなければならない訳で、古代インド由来の宗教はだいたいそんな感じだと。

 しかし哲学用語っていうのが自分は苦手というか、意味を想像できない。最終章の結論で上記みたいな話だな、と思ったけど、そうぢゃないかも知れないし、一般的な日本人の「仏教」とはかけ離れている感じもあります。それを手塚治虫氏の漫画も含めて、現代人の感覚で理解しようとすると、現代人的な神話のブッダになっちゃうよ、というのが本の趣旨なのかなぁ。

 そんな感じでした。