個人的な話です。だから今日はあっさり済ます予定。
前巻よりも過酷な話が出てましたね。原作本で読んでいた筈ですが「え、そんなんで生き残れる?良く腹を下さずに生き延びれたなぁ」という話題とか、戦火に晒されながらの子育てとか。またインタビューして記事を起こす原作者の苦労、というか理不尽にさらされる様とかも描かれていましたね。
戦争に、男たちの世界の中に『祖国防衛』という熱情のままに飛び込んでしまった「女の子たち」を他の人間たちが一体どんな風に見ているのか。「正しい戦争」とは異なった「体感の戦争」を語る事が一体どんな事なのか。現代でもツイッター上での炎上という事例で普遍的な問題、というか事象というのか、そういう気がします。
そういえば亡くなった父方の祖父母に戦時中の話を聞こうとすると決まり文句は「戦争だから仕方ない」でしたね。大勢に流される事で自分たちを守る人々と言えますが、果たしてそんな言葉で非難する事が許されるのかどうか。戦争という異常な状況を受け入れる為に、人々は自分がしでかした非人間的な行為を正当化、正義化しようとします。それを否定しようとする者を全力で攻撃します。弱味、後ろめたさを持った人間ほど攻撃的になります。その激しい攻勢を耐え忍ぶ事を誰もができる訳ではありません。お話の中でもインタビューの後、記事として発表すると「私はこんな事を言わなかった。侮辱しているのか」と著者を攻撃する人々がいます。大勢が「正義」とする事に逆らう事の難しさを実感します。
なんかね、この漫画を共産主義がどーのこーのと非難する人がいるらしいですけれど、その人は本を読んでいないし、読んでいたとしたら内容が語る事の本質を読み取っていないか、わざと目を反らして為に非難しているか、ではないかと思うのですよ。
この本が語ろうとしている事はそんな事じゃない。本の意味は受け取り方次第ですが、アタクシはそう思います。
年代的には上記の独ソ戦よりも十年近く以前の、イタリアはムッソリーニ、ドイツはヒトラーが政権を取り始めた時代ですけれども、まぁ同時代といえば同時代で、女性が望まれる職場ではないところで活躍するという事では同じかな。
しかし主人公がイタリアと英国のダブルだからか、イタリアのムッソリーニは話題に上るけど、女に弱いけど憎めないおっさんとして描かれているのです。まぁファシスト党はナチスに比べればやっている事は、まだ穏健だったのかな?民族全滅とか画策していないから。まぁイタリアだから、その点は愛嬌があるって事かしらん。
あともう一つスパイ・ファミリーを読んだけど、まぁ、そんなんで(オイ