pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

ネタは一つだけ

 読み終わった本は一つだけなのですが、その本よりもこっちを語りたい。


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 春に出た新しいアルバムに入っているのですが、スルーしていましたね。あの時は『光るとき』と『マヨイガ』に意識が行っていましたから。題名を覚えていないけど、二曲目か三曲目の「パーティはまだ始まったばかり」ってサビの歌詞の歌も記憶には残っています。羊文学ってこういう曲もアルバムに一曲ぐらい入れてくるよねーって。

 この『OOPARTS』はよーつべにあげられてから二か月ぐらい聞いていなくて、何気なーく聞いてみたら、歌詞にやられた、という感じ。ディストピア的な、現代社会の事を語っているかのような歌詞。「ぼくのエンパイア。百年弱の夢」ってまさに日本の事ぢゃね?とか思ったりね。栄枯盛衰のサイクルが百年ぐらいで収まっている感じ。ここ最近は衰亡の始まりかしらん?と思えるほど社会が弱体化している印象。

 歌詞の出だしのね、「甘言に惑わされて」みたいな文言(確認しながら書いていないから違うと思う)がね、二十年ぐらい前から政治判断がふらふらしている日本人の姿を描いているみたいでね。「政治の本質は失政」って『風の谷のナウシカ』の登場人物、トルメキアのヴ王の言葉が自分は本質を突いていると思っていたのですが、自身の人生で体感するとは、その頃(漫画版ナウシカが完結した二十世紀の終盤)考えた事もなくて、人間、それなりに生きていると思いもよらない経験ができるものだなぁ、とか思ったり。暢気だな。今まさに自分たちのリアルなのに。

 歌の終盤で「あの星へ逃げる」って繰り返されるけど、今現在逃げられる星はないんだよねー。そんな技術はない。あの歌詞をどう解釈すると面白いかな。そんな事を考えたりします。

 

 割と興味本位で借りました。目次を見て、あ、たぶん分かりにくいだろう、と思いました。時系列で物事を語っていないので。だから読み終わった後もぼんやりしていて、たぶんこういう事を著者は言いたいのだろう、というぐらいの理解ですかね。

 制度として律令制以前も天皇の家産管理をしている人たちが一番天皇(大王)にそば近く仕えており、その人たちの政治的活動とか地位とか、確定していく平安時代初期(嵯峨天皇期)までの話、ですかね。

 藤原氏という存在が側近から議政官に、そして一氏族一人しか取り立てられない議政官に役割や引き継いだ親世代の区別から兄弟で参加するようになり(不比等嫡男の武智麻呂と、後妻である橘三千代と結婚した後の不比等の後継者と見なされる次男房前は別家と見なされていたらしい)、それが前例となって一族から複数の議政官を出すようになったのが藤原氏の繁栄の始まり、とも言えそう。もっとも藤原氏構成員が律令を学習する事を家学としているのではないかと思うほど、それなりに有能な人が多かったとも言えますが。

 不比等の台頭は天皇の信頼と律令制の作成だとすれば、藤原氏律令制を家の仕事と考えても不思議ではないか?古代豪族は天皇にどのような奉仕をするのか、と定められた人々と、大和周辺に領地を持つタイプの人々に分別できるらしく、その中で自分たち一族の特徴を出すしたら律令制を利用する他ないよね。新興氏族としては。

 そんな事を思ったりしたりしました。