pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

安全保障の現代史

 学校ではどうしても時間切れでやらない部分ですね。あとリアルタイムで進行している事だから評価が難しい。メディアのニュースにはデマ、プロパガンダも含まれるし。たぶんこの本は比較的確度が高いんぢゃないかな?と思って購入しました。

 

 著者がその『NSC』つまり安全保障の中枢に在籍していた過去がある(官房長官の下で安全保障を担当する補佐官をしていたらしい)ので、これ以上ない内側を知る人物な訳で、とは言え本業は研究者のようですから比較的客観的な視点で書いているかなーっと。

 まず言えるのが日本の安全保障体制は、そもそもの初めから泥縄的であったこと。大戦中に連合国から勧告された『ポツダム宣言』で天皇制保持が明文化されていなかったことから、天皇制を死守したい日本政府側がバーターとして憲法第九条を認識していた事から始まります。武装放棄するから米軍、守ってね?細かい折衝はあるけれども冷戦期はそこで思考が止まっている感じ。だから一国平和主義で、アメリカが戦争する際、自国の領域と関係ない戦いに駆り出されるのはヤダ、なんて都合のいい事さえ言えるという・・・

 具体的に自国の安全が周辺国との有機的な防衛機構の連動であると理解したのは、皮肉にも冷戦後。ソ連崩壊によって北朝鮮が独自の核戦力保持とか言い出して、具体的な脅威が目の前にあると気づいてから。

 それでも読んでいくと・・・日米安保条約の規定って、え?と思う事が書いてあるみたい。有事の指揮権が米軍、自衛隊の並立型になっているって、どゆこと?戦争している時に指揮系統が一本化されていないって、それ、戦前日本やん!!とか突っ込み。これは明治期からの日本の宿痾とも言うべきもので、他国に指揮権を委ねるという事は生殺与奪を他国に与えることって認識がずっとあって、戦時の弊害よりも支配の恐怖が勝っているという。ならば自衛隊が指揮権握るのか?というと、これが不合理。何故なら日本を始めとする北東アジアの防衛網はアメリカと地域国の二国間条約によって構築されており、つまり有機的に防衛網を動かそうとすると米軍が中核にならざる得ない構造。

 他の国は有事の際、米軍に総指揮を委ねるのは常識になっています。一番兵力、装備、諜報網、全地球的戦略眼を持っているのが米軍だから、ベストでなくてもベターな選択せにゃならんとなると、そうなる。

 おそらく、他の国は米軍との合同の実戦体験を有しているけれども、日本は幸運な事にそういう事態に一度たりとも合っていない。だから頭では米軍に総指揮をとらせた方が合理的と解っていても感情が、習慣が拒否するって感じ。

 著者によると現在の東アジアの防衛構想は『1905年体制』と言うらしく、つまり日露戦争を日本が制した後、日本が構築した防衛構想をなぞっている感じ。比較的弱体な中国を海から封じ込めるというもので、大戦中の米軍はこれを理解していなかったからソ連による朝鮮半島北部占領を許したとも。というか戦争終結までアメリカとソ連が協力して世界の紛争を封じ込める構想だったのだから、まぁ大陸はソ連に任せればいいや、になるわな。それが夢想であったというのは終戦直後から判明するので、最初日本を非武装にしたままにしておくつもりの米軍が、朝鮮戦争を契機に再武装しろといい出す訳ですが。

 まぁその前提条件である比較的弱体の中国なんて、ここ二十年でひっくり返っていますからねぇ。今後はどういう安全保障体制を構築しなければならないのでしょうか?

 知らんけど(おい