流し読みであろうがなんだろうが、溜まっているのでこなさないといけないのです。
まず江戸前期は帯刀は特別なものではなかった事を確認しています。戦国期は誰も彼もが護身用に武器を携帯していた時代ですから、武士であろうが庶民であろうが帯刀はしていた訳です。家の優先度と個人の能力、どちらも必要とされた時代で、場合によっては出身よりも能力が評価される局面もあるので、身分制度は確固たるものでもなかったと。
綱吉将軍期ぐらいから『天下泰平』となり武器としての側面よりも身分標識、『役人』としての外見を表すものとなり、武士階級以外は基本的に帯刀は許されなくなります。が、近世とはいえ中世の、複数の支配者を持つという慣習が生きている人々がいて、例えば京都では町方として幕府の町奉行所の支配を受けながら、朝廷儀式に参加する地下官人としての顔を持つ町人もいるわけで、そういう人たちは支配者たる公家の下に赴くときや儀式に参加する時に限って帯刀が許される、という。
こうなると帯刀している人=特別な人って事になり、武器ではなくステータスシンボルとなって色々屁理屈こねたり、献金したりして役目や旅路では帯刀を許されるもの、それから進んで本人一代だけ帯刀を許されるもの、更に進んで事実上の世襲にしてしまうもの、と。繰り返し帯刀の由緒をただし、怪しいものを禁止しているって事は、格好いいからって帯刀する人は増えこそしても減りはしなかったのだなぁ。
風向きが変わったのは幕末。テロが横行し、刀の武器、人殺しとしての能力が人々に焼き付けられたこと。その上、福沢諭吉あたりから『斬捨て御免』という慣習が捏造されて、忌むべき江戸時代の遺物とされました。武士が庶民を理由なく切り捨てたら、人生オワコン処置されて、二度と武士として浮かび上がれなくなるのですが、そんな法律も忘れ去られる。
明治の帯刀廃止令は最初は帯刀している役人か、帯刀していない庶民か、という区別をつける為でしたが、役人が洋服風の制服を身に着けるよう義務付けられると、腰に差す刀が邪魔になり、廃刀を申し出るものが続出。もきやステイタスシンボルから時代遅れで物騒なシロモノ、厄介者扱いになり、結局全廃という事に。
この流れ、第二次大戦敗戦後、戦争はもうこりごりとばかりに、『軍隊』『戦争』という単語さえも忌み嫌って考える事をやめてしまった時代に良く似ているなぁ、と。ヒステリックに過剰反応するというのは、それだけ酷い目に遭ったからですが、これも人間の性ですかね。
う、二冊分ぐらい書くつもりだったのに、一冊分しか書けなかった・・・