pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

なにこれ?

 九月が始まって一週間もたっていないのに「はてな」さんがPV100超えましたよってゆってきまして、何が起こっているのん?って覗いてみたら、マッツ・ミケルセンの映画見た~って書いた日から数日、何十人もの方が閲覧していますって・・・え?そんなにマッツ・ミケルセン好きな人、多いのん?

 まぁ格好いいし雰囲気あるし、危険な香りがする役が似合うと思うけど、自分、そんなに見ていないからなぁ、この方の出演作品・・・って思っていたらWOWOWダニエル・クレイグがボンド役をしている『カジノロワイヤル』を放映しているのが食事中垂れ流されていた。あ、そういえばこの敵役マッツ・ミケルセンですね。へー・・・

 それはさておき、あんなにあったネタが尽きております。図書館で借りた本は、昨日行ってきたばかりなのでまだ読み終えていないし、購入した本はほぼほぼ読み終えたし(一冊積み置きしているのがあるけれども、歴史のシリーズもので間の巻がまだ刊行されていないって気づかずに購入してしまったので、その間の巻が出るまで待とうとしている・・・あ、これ、忘れる奴だ)、録画してある映画とかドラマとかは三時間近くある作品ばかりで、ここのところありがたい事に休日に遊びに出かける用事があり、つまり休みの日も比較的早起きしなきゃならないから夜半まで見る時間がかかる作品は見られないという・・・

 一応9/10の晩は見れるかなぁ、と思っています。町内会最後の旅行が9/9,10とありましてね。帰宅してくたばっていなかったら見ます。でもそれ演劇なんですよねー。円盤化されているのかどうか、知らないから日記に書くかどうか解りませんが。

 円盤化されている作品を日記に書くと、密林とか、よーつべとかから絵になるものを引っ張ってきて紐づけられる(この表現、あっているのかな)ので、アクセントが効くしTwitterにのっけた時も画像があがると閲覧していただけるのかしらん?などという邪な気持ちでやっていますが、でも別に記事の内容や書き方に工夫や選別をしている訳でなし、自分がテキトーに自動書記みたいに文章を書き綴って、文章書き欲求を満たしているだけなので、閲覧数が急激に伸びると「え、なにこれ?」って喜ぶよりも前に不審に思うという、何か変な考え方の人ですね。文章も推敲していないし、読み直すと誤字脱字が多いなぁ、と思うし。手直しするならUPする前にしないといけませんがね。UPしたら半永久的に電脳の海に垂れ流される・・・

 まぁ平常運転なら閲覧者は日に一桁なので、お気楽に書いていられるのが嬉しいです(なんぢゃそのヘタレ思考

 はい。ネタなしでなんとか一千字超えました~

苦いなぁ・・・

 米澤穂信さんは好きな作家さんの一人です。文庫化された創作作品はほぼほぼ購入しています(一冊だけ購入していない作品がある事は自覚している

 なのでこの作品も事前情報は知らなかったのですがTwitterで発売を知って購入しました。

 

 たぶん長野とか岐阜とか、そんなあたりの山間限界集落が舞台。いやかつて限界集落があったというべきで、百歳の方が亡くなった事が一つのきっかけとなり、高齢者ばかりの居住者は次第に集落を離れ、結局無人の家屋が残る廃墟となってしまいます。

 本来ならばそのまま自然に帰っていくばかりなのですが、大合併で主導権を握った自治体が吸収した他の市町村をないがしろにしている!!と攻撃して当選した市長により、この消滅したはずの集落を復興させよう、というプロジェクトが持ち上がります。

 主人公は不本意ながらそのプロジェクトに携わる事になった市職員で、しかし公募された居住希望者の人選には携われず、指図のままにお世話をするのですがトラブル続出で、一組、また一組と居住世帯は集落を離れていく。まるで何かの意志があるかのように・・・

 えっと殺人はないです。別に悪意とかも存在しないし、カルト的な要素もない。ただ「あー、ありそう」って事情は存在します。政治家の思い付きでやってみたけれども、やっぱり諸々の問題が、特に経済的な問題が顕著であるという事実。

 90年代は「こんな山間に何故人が住んでいるのか」っていうエッセイも目にした事があり自分も不思議だったのですが、中世まではヤト田こそが経済的で生産性も高かったという記事を見て目から鱗な感じでした。「山の入り口」っていうのがヤトの意味だったかな?つまり山の水源に近いところで水田を営むのがもっとも効率的な時代があったわけです。水源に近いから水に困る事はなく、またもっとも川上に位置するから水田に使う水を優先的に使う事ができる。集落において日常品を自給自足できるなら、山間部の不便さなど飢饉や日照りの確率を減らせるメリットからすれば、問題にもならなかったでしょう。

 しかし平地の灌漑や水問題の解決が法的に容易になった近世以降になると、山間部の交通の不便が徐々に大きくなり、現代にいたり農業や林業の採算性が低下すると人離れが始まります。自治体も生活する市民生活を維持する事が業務とは言え、投入した税金に見合った利便性をどれだけの市民が得られているのか?厳密な損得勘定は現れないけれども、納税者が多くなるならまだしも、多少の増加ではペイできない、そこまで過酷な環境ならば・・・となりますわな。

 米澤さんの作品は現実を突き付けてくる事が多くて、実は好きなんです。「ヨカッタ話」で幻惑されたくない。通常ならば過疎地活性プロジェクトが成功し、人が戻ってメデタシメデタシにしたいところですが、税金を投入して一時の活性化を得ても、それこそ持続的に、その過疎地で生活していく経済的必然性が存在しない限り、また過疎化は起こりうるでしょう。

 中世までの生活様式を現代人は行う事はできない。その認識から始まらないと、解決できない問題かも知れませんねー。

今週の『鎌倉殿~

 義時最後の妻、伊賀の方・・・こういう裏表のある人なのね。つまり、義時毒殺説が採用されそう。そしてこの大河ドラマのラストは泰時、時房が政子に付託されて主導権を握る伊賀氏の変で終わりそうな気がするなぁ。そして次回か次々回で畠山一党が殲滅されそう。そして時政ぱぱんも・・・まぁそんな先の話はいいか。

 鎌倉側が知らぬうちに朝廷側が幕府をコントロールする為に色々と仕掛けている、そういうエージェントとして源仲章が位置付けられているというのが面白いかな。まぁ実朝が実権を握っていた時期は、ある意味後鳥羽上皇の望み通りであり鎌倉側にとっても望ましい時期だったからなぁ。そこに至る道は善意によってもたらされたのではないって、断言されたような回でしたね、今回。

 それはさておき読み終えたもの。

 

 今となっては「そんな国もあったねー」なんですが、ベルリンの壁崩壊からドイツ統一の、あれよあれよという間の展開は怒涛で、こんな事が起こるんだって驚いてた青少年期の自分がいましたね。自分の生まれる前から冷戦構造は存在していて、それがずっと続くんだろうなぁと思っていたら、東側世界・・・厳密にいうとソ連邦世界が、あっという間に崩壊していったのですからね。

 冷戦構造の結果誕生した分断国家は三つほどありますが一番早く統一されたベトナム共産主義が資本主義に勝利したというよりも、民族主義汚職政府に勝ったという感じですし、北朝鮮世襲軍閥の色が濃い。それに比べると東ドイツは戦前から共産党があった、そして共産主義の『教祖』とでも言うべきマルクスの母国ドイツですから、まぁそれなりの理想はあったようですけれども、しかしそれは現実というものに変質、偏向を余儀なくされ、やがては硬直化し、ルーティン化し、市民生活の現実と欲望も見えなくなり、崩壊していきます。

 監視警察国家でありましたが、請願という形で(これが山のように届けられる)国民生活に対する要望が届けられ、可能な限りそれを実現するという宿命を背負っていました。何せ西隣で有数の経済大国に成長していく西ドイツがあって、それに「追いつき追い越せる」と国民に思ってもらわなければならない。それはある程度は成功しますが、やはり計画、規制経済はノルマのみ達成すれば、あとは知ったことはない、という気持ちになり、社会主義国の面子にかけて保証された生活も慣れれば当たり前で黙っていても国はしてくれる、と思ってしまう。

 西側世界も決して『楽園』ではないと私たちは身をもって知っており、何が違うかと言えば、個人の成果が評価され、社会的、経済的に個人が満足を得やすい(必ず得られるとは限らないけど)というぐらいかな。その評価で人が満足を得、さらなる評価を得るために努力する。努力しなければ貧困と没落が待っているという危うさがあるけれど。しかし社会的には前に前進できる(必ずしもではないけれど)。

 東側世界は建前として誰一人見捨てられず、平等に生きるという目標がありますが、『出る杭は打たれる』し『等しく貧しくなれ』という呪いにもなりやすく、社会の硬直と停滞を生み、気が付いてみれば諸問題に有効な手を打つことができず崩壊していったって感じ。

 ただ現在のロシア軍の様子をぼんやり見透かすかぎり、ロシアの宿痾なの?って疑いたくなるほど、かつての東側のダメなところが改善されず、そのまま残っている印象がありますね・・・なんだろね、これ。貧しくとも生活できる状況に満足し現状維持だけを望むと衰退していくというのは、どの社会でも共通ですけれども(わが身を振り返りそう思ったりもする

 まぁ権力者の交代が平和裏に行われない国家って、往々にして硬直と停滞していくものなんだなぁと思いました。最初は善意であっても、その善意が時とともに変わってしまい『悪意』にも等しくなってしまう。変化や進歩への憎悪、かな?

『最終回のストーリーは初めから決まっていたとしても』

 ようやく届きました。

 

 6月の発売予定が8/30に延期されていましたので、このタイミングで全話、CM飛ばしなしでみました。やはりCMなしは手間いらず(当たり前

 アニメーションの美しさだけでは、ここまで入れ込む事はなかったかも。やはり羊文学の『光るとき』を使用したOPとかPVが印象的でした。あと今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に合わせるかのように平家視点が見れたのも大きい。

 平家側の視点が平重盛一家である小松家というのも良かったかも知れない。大河ドラマでの小松家の人々は完全に脇役になってしまっているので(当たり前か)、平家の清盛家以外の人々がメインになっているのがね。まぁ平家物語平宗盛の扱いはヒドイので、仕方ない。あと主人公に架空の琵琶弾きの少女を設定して、これが『道化』のように様々な貴人のもとにいてもおかしくない雰囲気になっているのもヨカッタかも。

 しかしこの『平家物語』ってある意味呪いの物語でもあるのだよな、と。『一の谷』や『壇ノ浦』での平家一門の、潔く滅びるという行為が『美学』となり、武士たちの心に残り、遠く戦時中の高級将校にまで影響を及ぼしているように思えるのです。まぁ戦時中の海軍、艦長職が「艦と運命をともに」しちゃって指揮官不足に陥ってしまったのは、イギリス海軍のプリンス・ウェールズだかレパントだかの東洋艦隊所属の戦艦の艦長が総員退避命令を発し自分は背後に退去しようとしていたら間に合わず、結果的に「艦と運命をともに」してしまったのを、捕虜になったイギリス軍の水兵だか将校だかが誇らしく最初からそのつもりだったんだ、言ったものだから、これに感銘を受けた艦長職の日本海軍将校が「艦と運命を共にする」を実行しがちになり、戦争継続の為の優秀な指揮官をどんどん失ってしまった、という話なんですけれども、平家物語の『滅びの美学』が脳裏になかったとは言えないですよねー。

 アニメ『平家物語』は、その滅びの美学を乗り越えて『祈り』の物語に昇華させたところが良いと思います。その為に原作では目立たない徳子に焦点を当てて、夫に先立たれ、子を守る事ができず、一族と滅ぶ事もできなかった彼女にできる、そして生きている人々が等しく行う事ができる行為なのですから。『滅びの美学』よりもよっぽど良いラストでした。

 こういう価値観が現代ですよナ。


www.youtube.com

蒸し暑さが充満しております

 台風に影響された秋雨前線が停滞しているせいか、ここのところ水蒸気が充満しているような感じです。冷房から熱気の中に出るとメガネが曇るぐらいに。とっととこういう空気は去って欲しいですよ。汗疹で血だらけになっているので。もとい汗疹をひっかきすぎて血だらけです。下着はルミノール反応が出るでしょう。たぶん(てきとーに書いている

 んで読み終わったもの。

 

 

 リスベットの過去と絡む、双子の人体実験された人々が成人し、苦悩し、復讐を誓いつつもやっぱりコントロールされ・・・そのまま闇から闇に葬られようとしていた時、リスベットにとって父親代わりともいえる老弁護士が過去の記録に不用意に触れてしまったが為に、相手の過剰反応から事故死を装って殺されてしまいます。

 当然リスベットの怒りを買うよね。そこからまぁ上記の話が出てくるという。

 どうしても原作者と異なり『ミレニアム』シリーズのテンプレ化を試みているような印象があります。主人公サイドの敵は権威主義、家父長主義、そして遺伝子に対して妄執とか信仰みたいなものを持っている場合が多い。そして新シリーズはリスベットの過去にまつわるものが端的に登場しています。面白いなど、初期シリーズのような先の展開が読めずにドキドキワクワクというのが薄いかな。展開がだいたい読めるので。

 もちろん原作者であろうと長く続いた人気シリーズの『お約束』から自由にはなれないというのは分かっていますが、それを引き継いだ方には特にそういう『枷』が意識されるのかも知れないなーっと思ったり。創作の際、制限がある方が発想の契機になる場合もあるし、こだわりすぎて出てこないって苦しみにもなるだろうし、悩ましいと想像しますが、個人的には、初期シリーズの緊迫感は薄いかも知れないと思ったりしたり。

 

 えーっと、武蔵とぱぱんの立ち位置が解んね。グッバイしてしまったし。アドミラルコードって、あれ?前に出てきたのとは違うの??んでセヴァストポリ??良く解らぬ。どこかで読み直しの機会を見つけないと把握できないぞよ?それでなくても登場人物が多く(姉妹艦だと似ているから更に区別しづらく)把握できなくなっているから、ただ展開をなぞるだけで理解できずに終わりそう。ヤバい。でも読む機会を設けるって考え方からして、追い付けない気がする・・・(あ

 

 前巻出たの、いつだっけ(あ

 海洋訓練生ものかと思っていたらオカルトものでした。主人公は人間側よりも怪異側に親和性があるようなので、オカルト系の漫画ですね。そして人間の好悪によって怪異も敵対したり、そうでなかったりする設定ですかね。次は何年後なのかしらん・・・

 

 百合百合の18禁ぢゃないのにエロエロの漫画です。相互依存が強いと互いに解っているから、こういうイチャコラが成立するんですかね。その感情を愛でる漫画ですかね。エロいけどね。

マッツ・ミケルセン

 WOWOWが七月にマッツ・ミケルセンのプチ特集をしていたのですよ。知り合いにマッツ・ミケルセン推しの人がいて、名前は結構聞いていたので、見てみようかな、と。

 

 『イケおじ』マッツが『マッチョおじ』として主人公をやっているブラックコメディです。髭生えているし、太り気味のマッチョだし、まぁ『イケおじ』という役どころではないですが、海外派兵で長期単身赴任を強いられている、私生活では不器用な特殊部隊の隊長っぽい役柄。彼の留守中に妻子が鉄道事故に巻き込まれ、妻は亡くなってしまいます。それを規律とか平常心で乗り切ろうとする彼の下に、あれは仕組まれた事故だったのではないか?と言い出す学者たちが訪問。同じ事故の最中、亡くなった奥さんに席を譲ったその学者は、事故の前に高価なサンドイッチをろくに食べもせずに下車した男を目撃しており、それが関係者ではないか、と言うのだが・・・

 しかしこの学者たち、ちょっと軽はずみだし、オタク気質もあってコミュ障気味。ここがギャグパートになっていて、つまり、ハイテクを使いこなし、分析力もあるけれど、そもそもの前提が間違っていたというのが後半明らかになって・・・そこで『復讐』を心の支えにしていた主人公の折れっぷりが凄まじい。いや、解るけど。復讐相手と思っていたS気質の犯罪組織ボスの弟が、殺してしまった後に(そしてそれを復讐しにきた犯罪組織の連中も返り討ちの皆殺しにしてしまった後に)実は事故に関しては無実で、そもそも犯人か?と疑った人物は外国人で、デンマークの食事が口に合わなかったからサンドイッチを捨てただけで他意はなく、本当に列車事故だったという事実を知った彼の絶望が、素晴らしく表現されていました。職業軍人だけど好き好んで人殺しをしている訳ではない。妻を失った喪失感、思春期の娘の反発、そういったものに歯を食いしばって平静を装い耐えてきて、その爆発した先が無意味であった、倫理的に見れば非難すべき事だし犯罪でもある。その絶望と悲しみが一気に押し寄せたシーンが、とても好きでした。

 それ以外の登場人物たちの、頼りなさとか憎めない間抜けっぷりとかもあって。

 俳優マッツ・ミケルセンの力を見たかなー。

 

 こっちは最新スパイダーマンシリーズの主役が主役のSF作品。なんか海外の評価はいまいちのようですけれども、個人的にはそこまで酷くないお話でしたよ。まとまりがいいハッピーエンドだし。まぁ『イケおじ』マッツが演じる敵役の動機が、ちょっと弱いかなとは思いましたが、あんまり気にはなりませんでした。

 『アナザーラウンド』っていう映画の方が話題なのは知っていますけれども、内容が自分向きぢゃないかなと思ってみませんでした。そっちは情けない『イケおじ』なんだっけ?どうも自分が見たマッツ・ミケルソンさんは敵役イケおじ(ダニエル・クレイグの007シリーズでもそうだったナ)か、イケてないおじさんか、どっちかって感じで、個人的には凄く好きなんでけど。はい。

 TVドラマ版の『ハンニバル』でハンニバル・レクター役を演じていらっしゃるのですよね。機会があったら見てみたいですのぉ。

読んだもの色々

 先週買ったものを順繰りに。

 

 少女漫画というカテゴリーだとは思っていませんでした。チラシで興味を覚えたので。架空の北欧っぽい世界で、半島の真ん中あたりを支配する比較的小さな王国が舞台。先王が亡くなり、未成年とはいいながら王妃所生の王子が存在するのに、南の王国出身の王妃は摂政として実権を握り続けたまま。何故か王子には十分な教育も授けず半ば軟禁状態。それに焦りを感じた王子と側近は、まずは外国語の習得から、と「目立たず」「外国語に堪能」な主人公少女に白羽の矢を立てるが、彼女は召使を母とする先王の私生児を義兄に持っていた、という話。その義兄が若くして(二十代だろう)国会議員になるほどで、王妃の妨害を受けつつも領民の役に立つインフラ整備したりしている青年で・・・

 このあたりの設定から、あ、少女漫画だ、と理解。主人公少女の身内だけど血縁者ない関係者が多く生えてくるところが、乙女ゲーっぽい。

 しかし解せないのは、本来なら自分の権力の源泉になる実の息子の王子を飼い殺しにしようとしている王妃の行動。少女漫画的な展開優先で、ただひたすら王妃は中心人物の邪魔をするだけの人物なの?それにしても実兄が治める南の王国に対して戦争を吹っ掛ける準備をしているって、どういう事なの?本来なら自分の権力を担保する源泉を悉く否定するような動き・・・これが気になるので次巻も買う予定です。恋愛未満の主人公たちのいちゃこらは、まぁいいや(え

 

 次巻が最終巻らしいです。歌劇団に憧れ、学び、一員となり、引退していく女性たちのエピソードがつづられていて、その気になれば延々続けられる素材ですが、それを五巻にしてしまうオチが気になります。まぁ一巻分溜まるのに、三年ぐらいかかっているから、まぁ、それもあるのかなぁ。日常系の話って結構好きなのです。

 

 最初はこれの感想を最初に持ってきて、題名を『百合百合戦記』にしようかと思っていましたが、自分がこの作品にそこまで思い入れがあるのかな?と思ったらそうでもないと思いなおしたのでやめました。

 超小型の人工ブラックホールを基幹にした人工知生体『星霊』が宇宙船のコントロールには欠かせない銀河世界(なんせ光速の十倍で高次元空間をぶっ飛ぶシロモノ)兆単位の人類が天の川銀河中心部に住む時代で、人類起源の星、地球を中心とする星系で『星霊』が反乱を起こし人類を抹殺。それに対抗する圧倒的多数の人類勢力と、それでもなお『星霊』を対等な知生体として権利を認める主人公勢力。それらが敵味方に分かれて戦う銀河戦争が主題なのですが・・・なんかねー・・・今年の大河ドラマ後白河法皇さまに言わせたら、登場人物の演出が「薄っぺらいのぉ」とか言いそうなチープさなんですわ。

 これは設定があまりにもハードだから落としどころとして星霊は美女美女ばかりで、何故か人類の宇宙船の指揮官も女性が多く(意図的に女性を採用している勢力もある。理由はまだ明かされていない。というか、国家元首のフーリングっぽい)、んで軍人さんで宇宙船を管理する立場の連中は、宇宙船を実際に動かしている星霊とカップリングになっているので、親しくなると百合百合雰囲気になるよね、という。そういう描写を多くしているせいなのか、それとも無理やりな緊迫感を出そうとしているのか、どうも『薄っぺらく』感じてしまう。

 同じように美男美女のアーヴたちが登場する『星界の戦記』シリーズではそんな事は感じた事がないのは、人物造形の好みなのかな。三か月連続発刊だというので、まぁ星霊の運命は気になるけれど・・・続刊を買うかどうかは、その時本屋の棚で見たら決めます・・・