昨日、結構発注をかけたのですが、メーカーの出荷がうまくいかず(トラック便の集荷に間に合わなかった)、今朝届いたのは一社分のみ。あと二社は明日以降になるでせう。まぁいいけど。いや、良くないけど(どっちだよ
という訳なので午前中の時間が空いてしまった為、日記の時間に当てる次第。
伊勢宗瑞さんの史実では、備中国で禁制を出した事実が残るのみの時期です。せいしゆんじだいです。だから作者のファンタジーが炸裂する時期であり、結果が解っている身からすると、あ、これは実を結ばない、もしくは正式な婚姻にはならない、もしくは悲劇的なラストになる・・・みたいな恋愛があり(そこまで深化せず仄かな恋心で終わる可能性も大)、一族、地元領主との確執やら妥協やらあり、なんでもって本家の伊勢貞親の失脚で父親も引退。伊勢宗瑞が生涯無位無官の発端をここに求めているのも、うまいなぁとか思ったりします。経済的にも政治的にも中央での活躍の余地が狭くなる伏線が張られていく・・・
次巻も楽しみですよん。
もうちょっとで読み終えます。摂関政治時代というものが、権力の源泉が現職天皇に対する生母の影響力である、という事が良く解る本です。天皇が祖父とか外伯父叔父だとしても、天皇生母が生存しているか、死没しているかでの影響力、つまり権力掌握度は段違いなようです。
つまり摂関になったとしても、天皇の母系を通じての身内でなければ無力な存在になってしまうという・・・娘が円融天皇唯一の皇子である、つまり一条天皇の母詮子であった藤原兼家は、天皇姻戚ではないにも関わらず摂関になった藤原頼忠よりも朝廷内の主導権を握りました。詮子の影響力によって中関白家は政権争いに敗れますし。
摂関全盛と言われる藤原道長もやはり主導権を握るのは孫の後一条天皇が娘であり生母である彰子が天皇家家長になった時点です。
ただ藤原道長は摂政は短期間、関白には遂にならずじまいであり、律令制では政権トップの左大臣を長く勤め、内覧という天皇への奏上文を閲覧し意見を述べる地位にとどまりました。摂政や関白になると公卿の会議に出席できなかったのかな?なので道長がどこを権力の勘所と理解しているのが解るといいます。
しかし、生母、外祖父、天皇の三者が政権中枢になる事で成立するのが摂関政治ですが、のちの院政は生母ではなく家父長権を行使する譲位した天皇経験者が政権中枢の要になるという点において、摂関政治を継承しているともいいます。
とことん身内だけで政治をやっていた時代とも言えますね。