pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

(現代日本から見ると)ニッチな歴史

 世界史的に見れば点みたいなものって著者も書いていらっしゃるけれども、古代ローマのターニングポイントとも言えるので。

 

 古代ローマの関わる第一次マケドニア戦争というのは、有名な第二次ポエニ戦争・・・つまりハンニバルとの戦争中に、アドリア海東岸まで勢力を拡張していたマケドニアハンニバル・・・カルタゴと同盟してローマに敵対する動きを見せていたので、そのマケドニアギリシア本土で対立していたアイトリア連邦がローマを誘い、それを受けてローマが出兵した一連の戦いで、一応ローマはマケドニアを牽制しイタリア本土に攻められるという事態を回避できたのですが、そういう勝てなくても足止めになればいいや、という態度が見透かされて東地中海から中東の、いわゆるヘレニズム世界から「ローマ、頼りにならねぇ」「ギリシア人以外は追い出そうぜ」みたいな風潮を生み外交的に孤立する事に。

 当時のローマにとっての主敵はイタリアを蹂躙していたハンニバルであり、その本国であるカルタゴでしたから、ギリシア情勢は裏庭の事で二の次でしたけれども、しかしやっぱりギリシアから邪険にあしらわれた事が忘れられない、当時の担当者がいて、その彼らが第二次ポエニ戦争が終わった後、再びローマ軍をギリシアに向かわせるよう画策をした結果が第二次マケドニア戦争、と。端的に言うとそんな感じなんですかね。

 こう書くと簡単な事みたいに見えますけれども、第二次ポエニ戦争って十七年も戦っていて最終的にローマの勝利に終わりましたが開戦当初はハンニバルにやられっぱなしで、一年の死傷者が新生児数を上回るなんて時もあったほどの苦戦。兵士になるのは労働適齢者でもあるので戦争が終わったとしても、すぐ次の戦争に向かうなんて気持ちはローマ人にはさらさらなかったのです。

 しかし、マケドニアよりある都市が危機にさらされると、「第二次ポエニ戦争でも、ある都市の危機を見過ごしたが為にハンニバルにイタリアまで侵攻されたではないか」という論法を使い、早急な危機対処がローコストであるように市民を説得します。またヘレニズム世界でも変化があり、幼王の即位で弱体化したヘレニズム三大国の一角プトレマイオス朝を残りの二大国、マケドニアセレウコス朝が分割しようと画策しているとの噂から危機感を募らせたロドス島とアッタロス朝ペルガモンが、セレウコス朝の主力がシリア・エジプトに向いている機会をとらえてマケドニアと敵対。しかし劣勢に陥りローマの介入を望む状況に。

 ここでローマは孤立を避ける為に、マケドニアこそがギリシア秩序を乱すものとキャンペーンを張り、また非友好的中立国だったプトレマイオス朝をあたかも友好国扱いして、つまり敵方に回さないよう外交を行います。「ギリシアの守護者」的な雰囲気を作る為に当時は避ける晩秋出兵さえも行い、同盟者を見捨てないアピールにも余念がありません。

 ローマ単独ではマケドニアに華麗に勝利する事はできず、そうやって協力的、友好的なギリシア勢力があったからこそマケドニア軍は複数の戦線を抱え、全力でローマ軍に対処できず劣勢に追い込まれていきます。そしてこの手法が、それまで西地中海のみを活動対象にしていたローマが東地中海にも目を向け、勢力を拡大していく雛形になったといいます。基本的に多数派工作を行い、敵勢力を孤立させ、勝利する・・・どっかの学者が古代ローマアメリカなものって言ってたらしいけど、アメリカは古代ローマの手法を参考にして第一次大戦から今日まで大国から超大国という影響力を手にしてきたのではないかなぁ、と思います。多数派工作、大事。