pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

昨夜読了

 書きたい事をほぼほぼ書いてしまったけれども、読了したのでご報告。

 

 東北地方の戦国期に特徴的なのは「お前は死ね、俺は生きる」的な、敵対者の滅亡という事態に至る前に、周辺の第三者的な勢力が仲介者となって手打ち、和睦となる、という展開になる事が多い、なのですけれども、室町的秩序が生きている、というよりも畿内近国に比べると農業生産の面で豊かとは言えない土地柄なので、過酷な自然環境において協力して、相互援助して生きていく、という社会的不文律が強いのかも知れないなぁ、と思ったりします。

 それによって強力な支配者の誕生が遅れ、伊達政宗スキーが残念がる風潮があったりすけれども、戦国大名が何かのスポーツ大会の全国優勝を狙うみたいに『天下』を狙うって考え方は、もう過去の話であって、基本的に戦国大名たちは自らと被保護者たちの安全保障を担い願うもので、ぶっちゃ味方の安全が確保できるなら「天下」なんてどーでもいい・・・とは言わないけれども、二の次みたいなところはあります。それこそ自分たちの生存に直接関係ないならば関わる必要もないわけで、話し合いで争いが決着するならば凄惨な殺し合いなどしなくてもいい訳で、それはそれで人の知恵なのではないかと思いますけれども。とはいえ末期には機能しなくなって、やっぱり「お前は死ね。俺はいきる」になってしまうのですけれども。そこまで激化していく原因は、なんなんでしょうね?親戚同士だから話し合いしたけど血縁が遠くなったら殺しあうって言うのもな。親子兄弟でも殺しあう事例なんていくらでもあるし・・・うーむ・・・

 あとは、戦国期は農業生産よりも物流を握っている勢力の方が大きくなる傾向があるんぢゃね?と思っているのですが蠣崎氏なんてその最たるもので、当時、米がとれない蝦夷が島・・・北海道において収入はアイヌとの交易しかなく、つまり収入基盤が農業ぢゃないという・・・武士は農業開拓者というのは一面的な理解ですよねー。

 東北地方の一次資料残存ってなかなか厳しいものがあるらしく、研究者の数も多くなかったそうですが、ここ最近研究環境が改善されたのか、一次資料の発掘、整理も進み様々な事柄が判明してきたそうです。この東北編最後に取り上げられた項目、白河義親なんて名前は知っているけど、たしか南北朝期に活躍した奥州結城氏の末裔だよな、ぐらいしか解らなくて何者なのかと思ったのですが、何というか、これから研究され判明していくだろう人物の一例みたいな取り上げられ方でしたね。子孫が伊達藩士で存続したけれども、この人物の個人の出自や個人関係は諸説あり確定がないという。

 研究者の方が今後の研究が俟たれるって書かれると、希望が持てるのですよねぇ。研究すべき資料が残っているって事ですもんね?