日頃そんなに感じていなかったのですが、というかライトノベルをあんまり読んでいないからなのかも知れませんけど、意識していなかったのですよ。小説とライトノベルの差というものを。でもこれは作者それぞれの力量、能力の差と言うべきかも知れませんが、まぁ読後に強く感じてしまったので。
深緑野分さんの作品って、塩っ辛さというか、救いようのない部分というか、そういうものが自分にとっていい感じに混ざっているところが好きなのですが、この短編集は表題通り、最後の一作以外はほぼほぼ後味が悪いって感じで、最後の作品で救われるって印象。つまり、自分が好みの展開が一つの短編集で表現されているって感じ。
ジャンル的にはミステリアスファンタジーあるいはSFって感じで、陰鬱な始まりから救いがない、あるいは後味の悪いラストが、予想とは異なる方向から切り付けてくるって感じ。『オーブランの少女』が少女発信だとすると、こちらは少年発信、というか少年主人公の話が多いかな。善意が善意で報われようとしていたのに、善意を行ったものがそもそも、『善意』による結果を後悔していて、それを振り払うとか。
ではそれで幸せになったのかというと、そういう事はなく、取り方からすれば、どちらかというとマイナス収支になっているのではないかという展開で終わってしまう。しかし、そもそも『カミサマはそういない』世界観の作品なので、幸せなんてそうそうないぜ、みたいな話ばかりなのですが、しかし『いない』わけではない。最後の話だって、結局望むものはそこにはなかったけれども、しかし手を伸ばせば欲しかったものが続けられるって感じで、『カミサマ』はそうそういないけど、いない訳ではないというバランス感覚が好きでした。次回作も楽しみです。
読み終えた順番からするとこちらが先でした。しかしだからかも知れない。作者の文章に対して、こんなにも力量が異なるのかと感じてしまいました。深緑野分さんは『文学』なのですよ、自分にとっては。それに対してこの作品は・・・箇条書きに見える。
もちろん自分が求めているのが二つの作品それぞれに対して異なるので、いいのですよ。こちらは何十万という大軍が動き出すプロセスを丹念に、ただそれだけを追っていて、ここまで動員、物流に対して用意されている作品ってまずないので(作者の本業が物流会社社長というのもあるかも知れない)、その点を期待していたのが第一だから。
しかし読後の感触で、これが小説とライトノベルの違いなのかって、ここまで実感する事はなかったものですから、少し衝撃を受けた、というのが本音です。
んで、このままだと表題を実現して終わりなのですが、個人的にはその先がこの作品の勝負なのではないかなぁ、と思っているのですよ。副題は実現されるでしょう。でもその後は?その後を描くことができるのか。描いたとしてどのような作品、文章になっていくのか。そこからが自分的にはこの作品の価値が決定されるのではないかと思います。
続巻も注意深く見ていきたいですよ。