pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

だっはー

 いや、昨夜艦これ2021夏イベE-3-2丙ボスと殴り合って勝った時の気持ちです。一番直近は「それかよ!!」でした。意味が解りませんね。はい。丙と言えば簡単な方から二番目です。本来ならスイスイいって欲しいのですが、今回のイベント、なんか、ちょっとギミック解除しないと硬い、とか、特効能力のない艦、装備ぢゃないと倒さないとか、それも必殺のカットインが決まらないとミリ残るとか、そういうのが多いです。E-2丙ラスボスが結構楽に倒せたから安心していた。そうだ。今回はE-1乙ギミック解除ですら硬くて、前途多難だなと思っていたんだ。

 任務こなしたらE-3後半戦に挑みますが、ラスボスマスにドロップ艦があるのですよ。甲(最高難易度)クリアの方の記事を見ていると、またストレスたまりそうだナ。

 いつもなら丁でいいよ。ヘタレだよ。なんですが丙以上で挑戦していないと戦闘詳報という特殊アイテムが入手できる任務に挑戦できず、その戦闘詳報は入手方法がごくごく限られているにも関わらず、改装やら装備やらで使うとレアものになってくれる場合がある、というものでして、常設の高難易度任務にトライするのがかったるくて(あ)、やろうと考えた次第。ああ、新艦ドロップ掘りでイライラしそうだナ。前回みたいに九十何回試行とかってなったら、考えただけでくらくらするわい。

 はい。お気づきですね。読み終えた本も見終えたものもないのです。同時進行で四冊読んでいますが、どれも現時点で終わりは見えない・・・というかもう後半も後半になったのは『スペイン継承戦争』ですが、これは十年以上前に日記に書いた本ですし、というか思い出したように再読している好きな本です。珍しい事にハードカバー本で購入している。気に入った事もさる事ながら、テーマがテーマなだけに(日本でマイナーなので)文庫化は絶対しないだろうと思ったので。

 どうして好きなのかと言うと、この『スペイン継承戦争』当時のイギリスが、まさに戦時中の議会制民主主義のジレンマ、みたいなところがあって、戦場で常勝の将軍であろうとも政争にはかなわない。しかし議会や政府を尊重してこその国家であり軍事力である、という事が良く理解できます。金の使い方は議会が決めるという。政府が変わった為に『常勝将軍』マールバラ使途不明金(当時は雑費扱いで使い方は自由と認められていたものでしたが、その使い方が不明だと攻撃された)が元で亡命を余儀なくされますが、まもなく変わった政府もやりすぎで嫌気がさされて、また王も交代したので(アン女王が亡くなり、ハノーヴァー王家に代わった)帰国できましたが、その一連の流れからイギリス政界は徐々に党派行動をどこまで取るか、どこまでなら許されるのか、を学んでいったような気がします。よその国なら軍部独裁になって破滅の坂を転げ落ちかねない事にはならなかった。

 このシビリアンコントロールが確立していく過程に大変興味があるのですが、こういうの日本人で研究されている方、いませんかね?探さないといけませんね。

 はい。千字こえた~。

イメージって良くないかも

 昨日読み終えた本の感想です。後で書きます。

 土曜日の晩は久しぶりに、ほうれん草パウダーを使用したグリーンカレーをこさえました。ターメリックを入れると緑の発色が悪くなるかな?レッドペッパーも赤くなってあかんのかも。と思いターメリックを抜き、コリアンダー多め、クミン多め。辛さはブラックペッパーを使用してみましたが、やっぱり緑の発色は悪いですね。こんなもんなのかな。次につくる時はターメリックもやっぱり加えよう。心なしか酔い止めになるような気がするから。気がするだけですが。

 ひよこ豆のほうれん草カレーをこさえたのですけれども、まぁ辛ければ酒の肴になりますからね(オイ

 そして深夜に何故か思いついた『装甲騎兵ボトムズ』のTVシリーズのBDを一枚分を目安に見ていたのですが、BDだと六話から七話収録されていまして、三時間から三時間半ですよ。一本250mlの赤のスパークリング葡萄酒缶が二本消えました。晩飯は父親と白葡萄酒一本空けてますから、だいたい合計で一リットルほどの葡萄酒類を飲んだ事になる。翌日使い物にならないのは当たり前ですね、はい。

 それでも何日かかけて読み終えております。

 

 戦国時代の島津家って、豊臣秀吉九州征伐までに九州の大半を勢力下に置いたり、関ケ原の合戦で的中突破で逃走成功して、挙句にプラマイゼロの仕置きを徳川家から引き出した事で「島津つえー」「戦国最強!!」「鬼島津」などというイメージが定着しているのですが、一次資料が乏しく、研究が進んでいなかった事もあって実態が良く解らない戦国大名だったのですが、最近一般書でも発表がされて読んでみようかと思い付きで購入しまして・・・うわ、すげぇいばらの道をたどった家なのね、と思いました。

 特にこの島津貴久に関しては、その生涯をかけてようやく島津家が保持した日向、大隅、薩摩という守護領国のうち薩摩の過半と大隅の西半分ぐらいを掌握して「三州太守」を自称してもおかしくない立場となったぐらい。その後彼の息子たちに代になって四半世紀過ぎたところで三州制覇をしたという。

 その原因は室町期まで一族を各地に配置して支配していた島津家の方式で、血縁が薄れれば親しさも薄まる。ましてや宗家の当主が夭折したり、かじ取りに失敗すれば有力庶家が台頭してくるというもので、その一方で「皆親戚になって仲良くやろうや」という平穏を望む力が働き、気が付けば島津庶家、国人領主たち皆何らかの血縁関係となり、ややこしい相続争いが起こるという。

 島津家の覇権を狙い始めたのは貴久の養祖父にあたる運久が主導して、成人前の貴久を本家当主の養子に送り込むクーデターを画策した頃。一旦は上手く行きますが反対派の最大勢力に本家当主が取り込まれ、この企ては失敗。その後、本家当主と最大勢力当主が対立し、それを好機として、最大勢力の領域を侵食。それで薩摩第一の勢力になりますが、まだまだ大隅や日向の諸勢力から頭一つ抜けただけで、圧倒的な力を持つには程遠い。日向に足掛かりを確保し、薩摩を制覇し、大隅の要地を確保したところで彼の世代は終わり、息子たちに託されます。ちなみに彼の治世に鉄砲伝来やフランシスコ・ザビエルがやってきますが、まぁタイミングの問題というだけですね。南蛮貿易の拠点になりたかったようですが、薩摩よりも倭寇の根拠地として有名な平戸やら長崎やらにポルトガル人は移ってしまいます。南蛮貿易が後期倭寇の襲来、交易網に乗っかったものであると伺える話ですねー。

まだ痛痒い

 打ったところです。打って三日目ですね。腕を動かすには支障はないので、ただ単に打った箇所が痛痒いという奴。間違えて掻いたら大惨事だろうなぁ。血だらけになる。ま、他のところを掻きむしっても血だけですけれども。

 昨日、書店に取り寄せをお願いしていたコレが届きました。とりあえず大人買いした既刊分は全て読了と言う事になります。

 

 取り寄せた十二巻、増刷された分かな、と思ったら初版だったので戻ってきた奴かー、少し残念ですが、まぁ紙で読めるからいいや、と。

 アニメから入った『氷菓』、古典部シリーズですが、アニメの設定絵を使用したKADO〇AWAのメディアミックス戦術、意識して手を出さないようにしています。なんか泥縄商法みたいぢゃないですか。しかしきっかけはそうでもできあがったものが、自分が納得できるものである事もあり(ハーモニーのコミック版はアニメ版よりも遥かに自分的にはお気に入りでした。小説が敷居が高いならコミック版をお勧めしたいけど、どうやろ?)、試し読みしていいな、と思ったらメディアミックスに乗るのもいいかな、と思ったりしたり。

 しかし氷菓に関しては手を出す予定はありませんでした。二年生編にコミック版が突入していると知るまでは。

 できればアニメでやって欲しいところですが、原作小説の二年生編はまだまだ半ばぐらい。地域の名家であり跡取り娘として周囲から意識させられていて、本人も農業に進み、特産品開発などで貢献しようと進路を定めた千反田えるが、父親からそんな事にはこだわらなくていいと言われて、つまりいきなり目標を外されて(というか本人としては進路を決めた矢先に、他にも自分の未来はあると言われたようなものなので)非常に困惑しているところで終わっていました。つまり、読者の立場からすれば「つづく」のテロップが見える感じ。つまりオリジナルストーリーでも出さなければオチがつかない状況。

 しかし『氷菓』の製作は京都アニメーションさんであり、原作をいじるにしてもマイルドの方向で、しかも原作小説の味を損なわない程度にとどめていました。そんな事、するとは思えない。だから二年生編は、今後十数年先でなければアニメ化なんてしないだろうなぁ、と。米澤穂信さんの筆が急に加速どころか倍速されない限りは無理ですね。そして、そんな事はして欲しくないし。

 だから二年生編のビジュアル化は未来の話と思っていたのですが、それがコミックとして表現されるのなるならば、速攻で食いついてしまいましたね、はい。とはいえそこまで人気タイトルでもないので(コアなファンがいるけど、浮動票はそんなにないタイトル)だから本屋を巡っても既刊本があるところは、残念ながら皆無でした。悔しいけれど密林ってこういう時に威力を発揮しますね。売り場面積は倉庫であり、購買客は全国を相手にしているから、売買量が違う。

 しかし・・・取り寄せ発注とかの細かいサービスは、たしか、ない。あとクリック詐欺とかもある。今年は二回やられた。密林なんて信じない・・・こういう時に路面店は安心です。密林で入手できなかった十二巻は、こうして取り寄せていただきました。

 だから自分は、なるべく路面店で買い物をしたい。新刊として入荷される可能性があるものは書店で買いたい。そう思う訳です・・・

今朝も痛痒い?

 昨日はラヂヲ体操をしても腕を上げられなかったのですけれども、今日は大丈夫でした。でもまだ痛痒いけど。

 さて読み終わりました。

 

 

 密林の商品紹介で文庫版だけで、光文社やKADOKAWAもありましたが、図書館で借りたのが小学館版だったので。

 現在解明された地球構造上では、まずありえない『日本沈没』。著者も解っていたようです。現実の日本列島は海洋プレートが日本海溝に沈み込み、それによってせり上げられる大陸側のプレートに載っているので、隆起する事はあっても沈降する事は、まずない、はず。でも絶対なんて事はないので、何億年、何千万年、何百万年に一度は起こるかも知れない災害が、もし1970年代に起こったら、という小説です。

 まぁ、そうなるよねー。ご都合主義で楽観的な最後になる事もなく、日本列島に住む人々が大半助かるとか、という事もない。当時の環境において起こりうるだろう事を透徹に書いているので、今なお人気があるのですかね。昨年はアニメ、今年はドラマ化されるらしいですし。でも映像化されたものが低評価というのも仕方ないかも。この無常観はエンターテイメントには難しい気がする。小説もエンターテイメントだけど、受けを狙うところが違う気がするので。

 自分的には権力者の中に、日本を蔭から支えてきたフィクサーのような高齢の老人を登場させているところが、あ、戦前の教育、イメージを引きずっているなぁ、と。明治時代から、政界を切り盛りし天皇を補佐し、関係省庁の調整を行っていた元老たちのイメージがどこかに残っているのでしょう。公にはされていない『何か』があり、それに期待するようなところがある。現に公にできない段階で研究させていたのは、そういうフィクサーの超法規的な財力と影響力でした。

 ちょろりと前に、こちらはエンターテイメント的に成功した映画『シン・ゴジラ』も災害パニック、それに対する対処作品って感じでしたけど、こちらにはそんな超法規的な存在は描かれていません。マニュアル通りに動きながら次第に政権主催者としての責任に目覚めていく首相や閣僚たち、関係省庁を調整し、実際の組織を立ち上げていく中堅政治家、(非主流派だけど)知識と実行力のある官僚、現場の公的機関の人々、全てが公に存在している組織の人々であり、そうか、監督の庵野さんが「今までにないものを」と求めると、実際に存在する組織の人々が対応するドラマになるのだなぁ、と思いました。

 考えてみれば影のフィクサーという存在もご都合主義であり、ご都合主義に頼った結果、日本は一度破滅している事を考えれば、今までになかった事を求めると意外に現実的にならざるを得ないのかも知れませんね。

 第二部が谷甲州さんとの共著で存在しますけれども、読むかどうかは考え中です。うーむ・・・

打った

 例のワクチンです。打ったところが腫れている感じで、打った左腕があげづらい状態です。なるほど腕が動かせないとはこういう事なのか。確かに軽く体調が不良?みたいな。しかし風邪とまでは言いきれない(発熱していないし)。噂では二回目の方がキツイらしいですが、三週間後って連休明けなんですよね・・・連休前ならまだ良かったな。寝て過ごせたから。自営だから有給なんぞありゃしないし、症状が軽い事を祈るばかりですわい。

 ま、三週間後の事を心配しても仕方ないので、読み終わったもの。

 

  出版時期からし大河ドラマを睨んだ発行ですが、トンデモぢゃないです。当たり前ですが。他の本と違うところは、足利将軍に仕える『足軽衆』というくくりでも、いわゆる下級武士という意味ではないよ。血統は探れないけど将軍近臣になれる家柄だから土岐氏庶系の明智氏庶流ではないか?

 連歌茶の湯の著名人(つまり当代の名手、代表者)と連歌会や茶会を行っているところから、また採用された句もなかなか多いので、当代一流の文化人に比肩する水準ではなかったか、という事。

 ライバル秀吉に比べると堅実で手堅く、演出で劣る。また家臣たちの水準でも秀吉家臣、著者は特に弟秀長と黒田孝高を例に挙げていますけれども、蜂須賀正勝や宮部継潤あたりも自分なんかはその水準なんぢゃないかと思ったりしますが、織田家の他の家臣たちとの交流、人脈が広く、その分情報収集力が高いのではないかと評しています。信長周辺の情報を得る事を、信長側室(著者は断言されてます)、もしくは女官として奥向きに仕えたとされる(こっちはどっかで読んだ他の方の意見)妹(義理なのかどうかも解りませんが)に頼っていたらしい明智光秀に比べると、多方面からの情報収集能力に差をつけられていたような気がする。

 その妹が亡くなり、信長周辺の情報を得る事が難しくなった時点で、光秀の、将来に対する不安が膨れ上がったのかも知れません。自分は信長が佐久間信盛父子を始めとする家臣たちの追放を決めた事には、さまざまな理由があって一律にはとらえられないのではないかと想像していますが(佐久間は部下からの不満が原因っぽい。安藤父子は稲葉一鉄あたりの策動を感じる。林や岩崎丹羽氏に関しては尾張の統率に絡む事なのかな?と根拠もなく想像したりしている)、当時としては老齢の光秀を震え上がらせる処置である事は間違いない。

 加えて土佐長宗我部家への信長の対応が友好的なものから、どちらかという準敵国対応に変わったあたりから(これは当時織田家と交戦していた毛利家と長宗我部家が伊予の支配権を巡って交渉していた事が疑われたようです)、縁者が長宗我部家に嫁いでいた斉藤利三が信長に対して不穏な感情を抱くようになり、彼が光秀を本能寺の変へ導いたのではないか(当時の公家の日記には伝聞で利三が謀反の主犯みたいな事を書いている)、と書いています。

 どちらにせよ著者は本能寺の変に関わる光秀の決断が、緻密な彼らしくなく、拙速で根回しも十分でなく戦術的好機をつかんだ条件反射に近い対応ではなかったかと書いています。まぁ有力与力であり姻戚関係もある細川氏や筒井氏に背かれているあたり、用意周到とは言えませんよね。

 研究者の方の論説を読むと、だいたいこの線で起こったんだろうなぁ、と感じられますね。証拠は状況証拠しかないですけれども。

細かいミスがガガガ

 んもー、こういうミスを起こすと自己嫌悪以外何物でもない・・・まぁいいよ。取り返しはつくから。ただ自分がダウン系の気持ちになるだけだから。

 気を取り直して、読み終えたもの。

 

  歴史上の人物評価って、随分イメージ次第だと理解していたつもりでしたが、この人物もそうでした。『東北を制した源氏の棟梁』というイメージがあったのですが、この本を読む限り『若いころは個人的武技に優れていたけれども、政治家どころか武将としても大した実績はない』という事が暴露されました。え?

 清和源氏が後年の、源頼朝や足利氏のイメージ戦略により『武家源氏の棟梁』は自明という印象があるのですが、それこそ征夷大将軍たちがつくりあげたものであり、同時代の彼ら、例えば始祖の源経基は、どうも陽成天皇皇子から武技を教えてもらったり援助とか受けたりしていた存在で、実績と言えるほどのものを積んでおらず、その子満仲が藤原師輔子供たちの政治的ライバル源高明を密告、左遷の原因をつくった事から頭角を現した、みたいな。その三男頼信も摂関家に仕えるもなかなか目が出るのが遅く、平忠常の乱討伐に抜擢される予定が、摂関の藤原頼通の都合により平直方が討伐を任されたりして、その鎮圧が長期化するも平忠常一党を滅亡させるよりも降伏させる方が良いという政治的な理由で、平忠常と私的主従関係を結んでいた頼信が起用された、というのが本当のところ。それに従軍した息子頼義も大した功績はなく、んぢゃあこの人何をしているのかというと、藤原道長によって皇太子を辞退させられた小一条院という三条天皇の皇子がいましてね、その人の側近を務めていたという。そう書くと敗者側とみられかねないのですが、藤原道長はこの小一条院を政治的にはともかく経済的、儀礼的には重んじていまして、なにせ自分の孫を皇位につけるのに邪魔な人だったけれども「これ、アカン」と言って自発的にその地位を返上してくれた人なんですから、恩義に感じない訳がない。道長は気配りで政権を握ったような人なので、自分の役に立ってくれた人には優しいのです。

 そんな小一条院に仕えていた源頼義。立場は確保されたけれども実入りのいい受領(国守)になるのが遅く、たぶん小一条院が手放さなかったとか、政治向きの性格ではなかったのでしょうね。父親頼信も武芸の達人と摂関家に言うけれども「事務方、政治方面は次男頼清がいいてですよ」と売り込んでいて、その通り弟頼清は能吏肌でアニキよりも早く大国の国守になり、しかもよっぽど有能でないと許されない重任(任期続けて同じ国の国守となる)もしているぐらいで、彼の息子たちも中級貴族として出世しており、長男頼義よりもこちらが河内源氏嫡流になる可能性は高かったのです。

 だがそうはならなかった。彼が有名なのは前九年の役で東北を制圧したからという事なのですが、それすら現地勢力の助勢がなければ達成できず、いや、そもそも戦争の原因は東北地方で現地の利権を握っていた安倍氏とそれに逆らう勢力が勝手にやり始めた事で、平穏無事に任期を終えたかった頼義としては迷惑な話(しかも十年ぐらい前にできる弟頼清がそつなく治めていた陸奥国で自分の任期切れギリギリで争乱を起こったから、ご本人としては運が悪いとしか思えなかったでしょうね)。

 後年の息子義家もそうですけれども、河内源氏の利権拡張とかそんな話ではなく、どちらかというと「無事に国を治めて税金を納める事が出来なかった無能国司」という烙印が押されそうな話でした。それを命拾いしたのは、院政期の京都周辺の治安悪化(特に山門とかの強訴)に対応する為、院政を行っていた天皇家家長が個人的に武力、ボディガードを欲していた為、彼らが登用されたという事で、その点能吏の源頼清子孫は用がなく、恣意的に白河法皇と合わなかったせいもあって中央では失脚、没落。地方の村上氏とかに続く事になります。

 源頼朝は自分の奥州征伐を前例のない事ではなく、祖先頼義になぞらえる事で朝廷の命令なしでも正当性があるとした訳で、つまり頼朝のイメージ戦略の為に政治家、軍司令官としてはいまいちな頼義は『偉大な先祖』と祭り上げられた。

 そんな感じでアタクシは読み終えました。そう考えると、頼朝ってすごい男だよね、あらゆる意味で。

肉餃子

 土曜の夜に思いついて自作肉餃子リベンジをしました。合いびき肉とニラだけでなく、チューブのショウガ、ニンニク、中華ダシ、味の素、塩を適当に投入。それからですね、アタクシ、木〇路のゴマダレが好きなんです。他社のゴマダレは醤油かポン酢だかをベースにしていて塩辛さを感じるのですが、木曽〇のゴマダレはどこまでもマイルドでしてね。それが好きなのですが、スーパーにボトル入りは置いてないorz。そもそもボトル入りの製品があるのかも知れないのですが。まぁ袋入りを早々に使い切る為に(このゴマダレも先週の身内接待の焼き肉の時に使った)、肉餃子につけて食べてみました。はい。餡に塩味とかあったので美味しかったです。たぶん、また自作肉餃子やる時は、〇曽路のゴマダレを使用します。

 読み終わったものとしては、SF宮廷陰謀劇ものがあったのですが、作者の方がビザンツ帝国研究されていたようで、結構斬新な設定の帝国だったのですけれども、なーんか入ってこなくて、自分的にはいまいちでした。

 そのままの流れで小松左京さんの『日本沈没』を、そういえば読んでいないなぁ、と読み出しました。オチが悲惨なので、ちょっと読み終える気力ないかも、と渋々読み始めたのですが、この小説、大変読みやすいです。舞台が1970年代なので、ちょろりと違和感があるのですけれども、そういえば小松左京さんの小説、ちゃんと読むのは初めてですが、凄く読みやすい。『さよならジュピター』とかも読みたいかも知れない。なんか映画化された評価が芳しくなかったので敬遠していたけれど、ちょっと勿体なかったかも。映画化された小説はいいけれど、その映画がアレな事はよくある事ですから。

 さて、そんな映画つながりです。

 

  ジャンルとするとB級なんでしょうけれども、脚本の出来がいいよなぁ、と。ヒロイン枠かなぁ、ヒーロー枠かなぁって人が早々に、この世とグッバイしてしまうとか、狩る側も結構素人、コンサルタントも実戦経験ないとか、なーんかあるべきところの人があるべき役割でないという外し方も、面白い。

 ネタ的には富裕リベラルVS低所得層排他主義者みたいなんですが、最終的に生き残るのはどっちでもないノンポリってところとか、ブラックなユーモアが随所に見えるとか、大当たりとか狙ってないけれども、スミマセン。こういうの好きなんです。小ネタ的に好きな設定だしオチでした。

 生き残った人、ちょいとタフ過ぎなのは、主人公属性だからですかね?