pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

イメージって良くないかも

 昨日読み終えた本の感想です。後で書きます。

 土曜日の晩は久しぶりに、ほうれん草パウダーを使用したグリーンカレーをこさえました。ターメリックを入れると緑の発色が悪くなるかな?レッドペッパーも赤くなってあかんのかも。と思いターメリックを抜き、コリアンダー多め、クミン多め。辛さはブラックペッパーを使用してみましたが、やっぱり緑の発色は悪いですね。こんなもんなのかな。次につくる時はターメリックもやっぱり加えよう。心なしか酔い止めになるような気がするから。気がするだけですが。

 ひよこ豆のほうれん草カレーをこさえたのですけれども、まぁ辛ければ酒の肴になりますからね(オイ

 そして深夜に何故か思いついた『装甲騎兵ボトムズ』のTVシリーズのBDを一枚分を目安に見ていたのですが、BDだと六話から七話収録されていまして、三時間から三時間半ですよ。一本250mlの赤のスパークリング葡萄酒缶が二本消えました。晩飯は父親と白葡萄酒一本空けてますから、だいたい合計で一リットルほどの葡萄酒類を飲んだ事になる。翌日使い物にならないのは当たり前ですね、はい。

 それでも何日かかけて読み終えております。

 

 戦国時代の島津家って、豊臣秀吉九州征伐までに九州の大半を勢力下に置いたり、関ケ原の合戦で的中突破で逃走成功して、挙句にプラマイゼロの仕置きを徳川家から引き出した事で「島津つえー」「戦国最強!!」「鬼島津」などというイメージが定着しているのですが、一次資料が乏しく、研究が進んでいなかった事もあって実態が良く解らない戦国大名だったのですが、最近一般書でも発表がされて読んでみようかと思い付きで購入しまして・・・うわ、すげぇいばらの道をたどった家なのね、と思いました。

 特にこの島津貴久に関しては、その生涯をかけてようやく島津家が保持した日向、大隅、薩摩という守護領国のうち薩摩の過半と大隅の西半分ぐらいを掌握して「三州太守」を自称してもおかしくない立場となったぐらい。その後彼の息子たちに代になって四半世紀過ぎたところで三州制覇をしたという。

 その原因は室町期まで一族を各地に配置して支配していた島津家の方式で、血縁が薄れれば親しさも薄まる。ましてや宗家の当主が夭折したり、かじ取りに失敗すれば有力庶家が台頭してくるというもので、その一方で「皆親戚になって仲良くやろうや」という平穏を望む力が働き、気が付けば島津庶家、国人領主たち皆何らかの血縁関係となり、ややこしい相続争いが起こるという。

 島津家の覇権を狙い始めたのは貴久の養祖父にあたる運久が主導して、成人前の貴久を本家当主の養子に送り込むクーデターを画策した頃。一旦は上手く行きますが反対派の最大勢力に本家当主が取り込まれ、この企ては失敗。その後、本家当主と最大勢力当主が対立し、それを好機として、最大勢力の領域を侵食。それで薩摩第一の勢力になりますが、まだまだ大隅や日向の諸勢力から頭一つ抜けただけで、圧倒的な力を持つには程遠い。日向に足掛かりを確保し、薩摩を制覇し、大隅の要地を確保したところで彼の世代は終わり、息子たちに託されます。ちなみに彼の治世に鉄砲伝来やフランシスコ・ザビエルがやってきますが、まぁタイミングの問題というだけですね。南蛮貿易の拠点になりたかったようですが、薩摩よりも倭寇の根拠地として有名な平戸やら長崎やらにポルトガル人は移ってしまいます。南蛮貿易が後期倭寇の襲来、交易網に乗っかったものであると伺える話ですねー。