pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

お腹下りのスケ

 寝不足のせいなのか、それともカレーオカラのせいなのか、解りませんが、絶賛お腹下り中です?今朝はそうでもなかったけど昨夜は水便でした。お腹やられると飲酒欲どころか食欲までなくなる。まぁ義務感がまさるので食べますが・・・それがまずいのかな?昨夜も結構早く床について、あ、早く寝付いたーっと思ったら午前四時半だが五時だかで起きて、二度寝できるやん!!ってのたうち回っても寝付けない・・・ああ、もう!!来週は涼しくなるとか何とかいうし、早く気温が安定して欲しい・・・

 あ、さて『鎌倉殿の13人』で、ちょい悪可愛い風に描かれた為に十五話で殺された際に多数のネット民がロストを嘆いた上総広常、その前にほぼ初めての評伝が発売予告されていたせいで、密林あたりでジャンル別瞬間一位をとって品切れにもなったという本は昨夜から本格的に読み始めました。まだ前史にあたる平将門の部分・・・次が直接のご先祖で上総で乱を起こした平忠常・・・広常の記事にたどりつくのはだいぶ先ですよ。

 その前に読み終わった二冊が今日のネタ。

 

 年代順に並びましたが、発表順は逆でした。何故か。純粋に鎌倉時代よりも南北朝期の資料の残存量が多いからです。だから鎌倉時代の事も南北朝期のネタで補足しているかしらん。

 よく源平合戦は名乗りをあげて一騎打ちから始まるとか言われますけれども、そういう時代ではないですね。平家物語の何万という表記は眉唾としても、数千規模の兵力は動いていたようですし、また兵糧自弁というのも移動距離数百キロにも及ぶ全国規模の内乱ですから限界があり、それぞれの陣営で、略奪、輸送、購入等々の手段を講じて確保していたようです。あと軍勢が集まって最初は証明書を発行していたようでしたけど、あまりにも膨大になるので次第に着到状にサインする形式になったりとか、自分の手柄を証明する証人を確保して、証言してもらうとか戦国時代にもつながる事をしています。当然、手柄を奪われるケースもあります。非戦闘員が最初から工兵として随伴していたという事例もあり、当時なりの合理性で動いています。戦争はファンタジーを持ち込んだ方が負ける気がするからナ。

 あとは負傷や戦死も手柄としてカウントされていたということ。つまり『死ぬことと見つけたり』は美学というよりも、実際の利益に直結していた言葉だったのではないかと思ったり。死を恐れないというのは、戦死も自家(自分が属する集団)の利益になるという打算があって初めて成立したものかも知れない、と。

 先の大戦の特攻隊員もそういう気持ちで自信を納得させたのかな・・・しかし、そういう気持ちに付け込んで、やらせる奴は許せないけどな。

気が付いたら

 結構読み終えた本が溜まっていました。そして購入順に読んでいたから年代順にはならないという・・・こういう書き方したら歴史関係って事ですよ、はい。

 

 鎌倉公方というのは室町幕府の関東支部みたいなもので、その長が足利家一門の序列としては将軍家に次ぐ立場であり、関東の武士たちにとっては『東国の将軍』に等しく、その為に公方と称された存在。畿内近国や他の地域に比べると関東は鎌倉時代以来の名族が、南北朝の戦乱を生き残っている率が高く、その気位の高さが『将軍』を必要とした、ともいえるかも。

 初代鎌倉公方の基氏と二代将軍義詮は兄弟であり、頻繁に使者をかわし、互いの了解をとった上で政策を実行するように気を使っていた節があり、割と協調関係であったのですが、代を重ねるうちに鎌倉公方は将軍家にとって代わる野心を温めて・・・というのが通説なのですが、どうも歴代公方はそこまで考えていなかったみたいです。ただ関東における自らの地位、権力を強化する為に、反対者は圧迫する訳ですが、その反対者は関東の権威、鎌倉公方を相対化する為に京の将軍家を頼る訳でして、そうすると将軍家からすると鎌倉公方の動きは警戒すべきものに映り、その両者の間に立って関係調節する立場になる関東管領が胃痛に悩まされるという感じ。

 関東管領という職名から鎌倉公方に任免権があるように思えるのですが、実は彼らは京の将軍家に任免権があり(といっても鎌倉で選択されたものを追認するみたいな形が多いように見える)、ご意見番的な立ち位置。しかし関東の鎌倉由来の武将たちからすると、なーんか胡散臭いのですよね。関東管領を代々務めた上杉家はもとはと言えば足利家の家来筋。出身は京の下級貴族で足利家当主の妾を輩出し、それを母とする人物が足利家当主となったから姻戚になったという立場。南北朝の戦乱で台頭したという経歴。

 ただ彼らも立場を強化する為に権利、支持者を集め、権力安定の為にその権利を鎌倉公方が侵した場合は対立するという。ややこしいのは上杉家はいくつものの分家に分かれているので、それぞれの家の事情によって対立したり協力したりと、同じ家門でも反復常ならず。

 最終的には『籤引き公方』足利義教の過剰反応を足利持氏が読み違えて、関東管領上杉憲実のみを排除するつもりが幕府への反逆ととられ、滅亡するという。ま、息子の名前を義久って、足利将軍家の偏き(漢字が出てこなかった)をもらわない限りつけられない字で、勝手につけたら、そら「舐めとんのか」と言われるよねぇ。本人は自家の家格をあげたいだけだったみたいな事を著者は書いていたけど・・・やっぱ舐めているよね。

 そんなお話でした。

大ポカした~

 仕事でも、プライベートでも。たぶん。あ、遊びでポカは日常茶飯事なので。

 他にも、オカラを作りすぎ食べ過ぎっぽくて、三日連続で先週飲んだ事もあり、お腹の調子というか、食欲というか、まぁ食欲は飲酒しないかぎり沸かないのですが、精神的にアレな状態です。解っているんです。その人にとってあっしは恋愛対象ではないだろう事を。あちらから連絡来る事もないし、その他大勢の一人なんだって事も。でも決定的に切られていないので、こちらから連絡とりたがっているだけなんです。いずれ踏ん切りつける時がくるでしょうが、なんとなく先延ばしにしているみたいな感じ。あちらからこちらを見ても、ふわっふわしているように見えて信用ならないだろうし、もうそういう季節ぢゃないのは察しておるのですが、お会いすると、その方成分摂取して多幸感が湧いてきて、ハグしたくなる。ああ、ダメだわ、そんな事しては。そんな感じ。

 こんな事、当人以外には茶番でしかないですね。話題を変えましょう。書いたら少し楽になったし。

 『鎌倉殿の13人』八重さんグッバイ回でしたね。もうちょっと欧州征伐が頼朝と御家人たちの神話創造になる感じにまとめられるかと思いましたが、あ、義時が主人公でしたね。だから大姫がアレな感じになったエピソードを見て、あ、そうしちゃうのか。他の人なら薄幸の少女として描いておしまいにするのに、そっちを広げるのか、と。

 あと、解っていたけれど、八重さん・・・そっか亡き息子と同じ運命か・・・まぁこの後、義時は比企の姫の前に、またまた恋文攻勢するからなぁ・・・三谷さんならグッバイするとは思っていたから(真田丸の前科がある)驚きはないけれど・・・お疲れさまでした。『八重さんの託児所』はどーなるんだろう?鶴丸は今後も登場するのかな?

 次回予告で善児の姿見えたって事は、また誰かグッバイですかね。そろそろ頼家元服が近いなら・・・曽我兄弟の仇討ちが近いなら・・・次の生贄は蒲殿?どーなんだろ。うーむ・・・

 そして読み終わったもの。

 

 中世は核家族でした。はい。二、三世代が一つの家に一つの竈、囲炉裏で暮らすようになるのは、江戸時代中期の新田開発の波が終わり、生産力が限界まで拡大したあと、らしいです。それまでは、結婚する事が一人前とみなされ、しかし家屋はよほどの資力がないと大きく作れず、となると夫婦に子供という核家族が基本単位になる、と。んで名主などの役職持ち、富裕者は一族の家を比較的近辺に集めて、農繁期には賃金を払って人を集めて田植え、草取り、刈り入れなどをしていたようで、なので生活できるほどの田畑がない青年層も、手間賃を稼いで生活できる。そしてある程度現金を貯めて、体力的に広い田畑を維持できない老年層から購入し、耕地を拡大する、そんなサイクルがあるらしいです。

 中世までは一組の夫婦とその子供で、貴族から庶民まで竈、あるいは簡易調理装置とも言える囲炉裏を一つ、別々に持っていたというのも新鮮です。そっか、多世代が暮らせるデカイ家なんて、資力がないと建築、維持できないもんな。あと、名主というか富裕農家の立場も飢饉、天災、あるいは一族を含む同業他者の足の引っ張り合いで安定していなかったというし。あ、長子にすべての継承権を与えるという考え方も近世に近くなるほど、中世後期から徐々に表れたそうです。なぜか。多くの兄弟が成人できるほどの生産力がないから、生き残った子供が少ないから!!

 なーんか、現代日本の庶民の状況って、古代の生産形式が崩壊した中世初期の状況に似ているような、そんな気がします。条件は違うけどね。

 

今夜の飲み会

 まだ、場所決まってないようです。どーすんのかねぇ。まぁ町内の人だから、なんとかするでしょう。知らんけど(これ便利やな

 読み終わった本・・・本・・・ないです。『中世は核家族だったのか』という本を読んでいる最中です。前近代は農業が基幹産業で、全人口の大半は農民なのですが、古代は大規模農業を行っていて、それが自然災害や疫病で飢饉が起こり人口が激減すると、変化してくると。古代は耕作者の意欲を削ぐようなシステムで(一年契約の耕作契約を農民個人の結んでいたようで、つまり来年も同じ田圃で耕しているとは限らない。だから、まぁ、来年以降の事を考えない耕作になるよね)、これが良くないとさすがに為政者も気づく訳で、荘園制になり土地所有が認められるようになるとかなんとか。そうなると夏稲、冬麦の二毛作とかやり始めて、地力回復の為に、大豆とか小豆とか、他の雑穀も育てたりすると。

 あと想像以上の農民は米を食べていない。特別な日、ハレの日以外は麦とか雑穀を食べていて、これは米が通貨の役割も担っていて、文字通り米の収穫は現金収入の意味があり、年貢を納めた以外は全部自家の現金収入。お金を食べる事はしない。まぁ麦、雑穀の値段が米に比べると安いというのもあります。たぶん食感が違うからですかね。自分は亡くなった父方の祖父さんが、お粥のアニさんみたいなものを要求していたせいで白米の飯に対する信仰心はないのですが(美味いとは思うけれども、それが無上の美味さとは特に思わない)、麦粒炊いたものと、米粒炊いたもの、どっちが食感がいいかと言えば、まぁ米だよね、とは思う。

 あと、後年の名主とは異なり、中世の名主の地位は不安定で、年貢を納める責任者なんですが、仲間内の足の引っ張り合いで簡単に失脚するようです。特に『盗犯』つまり盗みは現代の常識からすると遥かに重罪で、他人も所有物を奪うという行為をやったと、まぁ多くの人間に口裏合わせていわれると逃げるしかないね。

 ただそういう場合も他の集落に逃げてしまえば問われず、親戚筋を頼って逃れて、世代を超えて再起するというのも、ままあったようです。小百姓と名主はほぼ同じ階層というのも初めてしまった。あとは社会の上層は生存兄弟数が増えたけど、一般庶民はやはり死亡率が高く、女性の地位がのちの時代よりも高いというのも、生き残った子供の女ばかりの場合、それを差別なんてしている場合じゃない!!という事になる。

 そんな感じで書いていたらノルマの千字超えたので、今日はこの辺で~。

 いや、仕事が暇というのは、楽、なんだけど収入減るしアレなんですが、昨夜おなかの調子が良くなくてつらかったので、夕食に晩酌なし。食べすぎもせずに一夜過ぎたら比較的楽な感じに・・・食べすぎは体の毒だナ。解ってはいるけれども酒が入るとねー・・・なんでこんな事を書くかというと、今夜、明晩と飲み会だから。自重って言葉を心の内で唱えよう。

 そんな朝の感想とはまったく関係なく読み終えた本のこと。

 

 現状維持に徹するの結果的に衰亡してしまう。システムを現状に合うように、更に効率的にしていかないと、いずれそうなってしまう。その観点から改革というものは日常的に行わなければならない。古代の改革がすべからくそうであって、その改革に対する摩擦が「謀反」と言われる事件を引き起こしている。そんな解釈。なので副題の「平安朝の政治改革」の方があっていると思います。

 天武天皇というカリスマの血統というのが奈良時代天皇家で、文字通り「神のごとく仰ぎ見る存在」であったのが、その血統が途絶えてしまい、傍系の光仁天皇皇位が移って、まぁこの人は高齢だったので実質的には次代の桓武天皇の時代に、神の権威をまとっていない天皇が君臨する体制を構築始める事になります。生まれながらの権威に乏しければ政治的な実績を積むしかない。それは政治改革、つまり手直しの繰り返しであり、その手直しを繰り返す事が可能な良吏をそろえる事こそが必要だ。その指向が平城、嵯峨天皇によって示されて、この時期より官人(貴族)たちの文化レベル、事務能力が質量ともに向上していきます。

 しかしそうなっていくと血統によって頂点に君臨する天皇という存在が、好むと好まざると相対的なものになっていく。そして天皇自身の政治能力が問題視されていく。

 そうなると血統の親密さをよりどころにした摂関政治と真逆ぢゃないか、となるのですが、そもそも最初の人臣の摂政、藤原良房は自身の孫である幼くして即位せざるを得なかった清和天皇を補佐する一点でその地位についたのであって政権を牛耳る目的でやった訳ではない、と。清和天皇即位がそもそも良房の野望ぢゃないの?という向きもありますが、摂政になる前に「承和の変」で頭角を現し、政権首班となった良房とは血縁的に無関係な天皇を即位させれば政局が乱れる可能性があり、それを発生させない為には良房孫の清和天皇を即位させなければならなかった、と。

 すんなり摂関政治にならなかったのは良房の存在が特別であったと考えられていた事と、その後継者である藤原基経が、自らの縁者である陽成天皇に対して「優しくなかった」という個性があったのではないかと。基経は良房の実子ではなく、並み居る縁者の中から能力故に自分が選ばれた、つまり選ばれたからには能力を示せ、というタイプの考え方であったのではないか、と。良房は孫を教え支えたけれども、基経は教導せず棚上げにするだけで、陽成天皇のやる気は空振りと失態を重ねてしまい、まぁいやんなっちゃた、と、そんな感じですかね。

 菅原道真が失脚左遷させられた昌泰の変は、天皇親政体制を指向した宇多天皇が、貴族社会のみならず息子の醍醐天皇にも拒否られた事件で、臣下から天皇になった宇多天皇桓武、平城、嵯峨、淳和といった能力によって臣下に君臨する、つまり臣下からグダグダいわせないタイプの君主を目指しましたが、醍醐天皇と貴族たちは天皇と言えども貴族社会の一員として、つまり君主制というよりも寡頭制に近い政治体制を指向していた、という事なんですかね。孤独に君臨するのは疲れる、辛い。「鎌倉殿の13人」の源頼朝を見ていれば解るように。だから天皇も臣下と責任分担して集団指導制にした方がストレスが少なくていいよね!!って事ですかね。

 あ、なんか日本的な統治体制っぽいですね、これ。

暇ってお客さんにいわれてもーた

 そんなに多くないけど商品買ってくれるお客さんに、お仕事の調子はどうですかって尋ねたら、一言のことに「暇!!」って。ひーえぇぇぇ。夏物の制服納品がひと段落してしまったので、これから暑いから早く夏物商品欲しい!!っていうお客さんがいないと、暇、なんですわ。暇・・・これほど自営業者にとって複雑な単語はない・・・暇だと儲からんもんな。でも暇でまったりするというのは、精神的には楽ではある。でも暇すぎると儲からん・・・ああ、あああ・・・

 と嘆いていても仕方ない。お客さんが忙しくて儲かってくれんと買ってくれんからのぉ・・・こればっかりはどうにもこうにも。

 そんな嘆きとは無関係に、読み終えた本。

 

 現在確認されている地球上最古の文明であるシュメル人たちの、考古学や楔形文字から判明した生活状況をつづったもの。とはいえ、一般庶民の記録は「察しろ」レベルでしかなく、ほぼほぼ王様、役人、将軍、そして王后の話題です。

 楔形文字は記録文字で書記官など限られた人々しか使っていなくて、おそらく文字が読める王様も少数派、とか。中世ヨーロッパの貧弱な収穫からすると、笑っちゃうぐらい豊かなシュメルの人々の大麦収穫量とか(毎度、中世ヨーロッパの収穫量を目にするたびに、これで良く生きていけたよな、と思うぐらい貧弱。他に何か食わねば生き延びられないってぐらい)、ティグリス、ユーフラテスの下流部で栄えたので、建築資材、鉱物資源とかは他から輸入しなければならないとか、エジプトとの交易はアラビア湾からアラビア半島を迂回して紅海経由でやっていたとか・・・まぁメソポタミアの真西は砂漠だし、川の上流から大回りする陸路よりも、難破の危険があるけど大量に運べる海路の方が有利だよね、とか。

 そういえばギルガメッシュの神話を踏まえて、彼とは友人だ!!とか、この征服行は彼とやった!!とか、王様が逸話を作り出して宣伝したりしている。

 意外なところは、役人の手紙というのは結構遺っていて、なんでかいな、と思ったら書記官育成の学校で楔形文字を教えるのですが、就職先は王宮とか役所がほとんどで、過去の手紙とかを類例にして手紙を書く教材にしていた為に残っているそうな。

 自分は書式とかほぼほぼキニシナイで、てけとーに書いてしまうけれども公式文書になる王の手紙ではそういう訳にもいかず、定型を勉強したり、表現方法を学ぶために使っていたんだろうなぁ、と。

 あとは石油の存在は知っていて、原油そのものではなく瀝青を防水溶剤や接着剤として使用していたそうです。

 統治能力に優れた王がいれば栄え、そうでなければ滅びる。王朝の寿命は100年前後。三世代ぐらいが平均。まだまだシステムが未熟な時代ですから個人の能力によって栄枯盛衰が繰り返されるのですね・・・組織力が向上するのは遥か後年の話ぢゃ。五千年前からそれができていたら、未来人の立つ瀬がないわい。

 ん?自分が未来人だと、本気で思っている?(冷や汗

バランスというものが

 仕事配分は忙しくなく、暇でもないという感じに欲しいのですが、ま、扱っているものが季節商品なので、それはないわな、と。何が言いたいのかというと、昨日に比して今日は、まったりしている。いや仕事がない訳ではないのですが、多い訳でもないのでね。

 読み終わったものは三冊ですよ。昨日は配達途中で本屋に寄れましたから。

 

 検索しているさなかにTelがドバドバかかってきて、あたふたと対応していました。まったりといったな、あれは嘘だ・・・自分で書いててどーすんねん。

 はい、ヴィンランド・サガです。入植は順調ですが、現地の方々のシャーマンがキメキメで飢餓(だろう)状態でトランスしてお告げを得ようとして、まぁ創作ですからこんなにはっきりと見えるとは思えないのですが、18世紀から21世紀にいたるまでの、大量に殺害できてしまうシステムやら利器だかを幻視してしまうのですよ。やつらやべぇ、とシャーマンさんは思う訳で、なんとなーくいい感じの間柄も亀裂が入りそうです。おそらくトルフィンにとっての、最後の戦いが始まるんでないかな?彼女は許したそうですからナ・・・

 

 スポーツマンガは主人公が負けてもライバルに何某かの敗北感を与える。そんなパティーンですかね。レースの駆け引きが楽しいです。ただ皆ヘルメットかぶっていて似たようなバイクに乗っているので、判別がつきにくい・・・番号で識別するぐらい?はい。頑張ります。

 

 昨日の段階で読了の目途がついていたのはこの本。戦国時代、一郡程度の領域規模を持った封建領主の事です。『国人領主』は成り立たないと、この本で否定されました。まぁ室町時代は、思った以上に所領が分散していて、一円所有しておらず、排他的な支配を実現できていない社会でしたからね。『荘園』という本で学びました。

 イメージとしてはミニマムな戦国大名で、最近まで力の大きいものが勝手を言える、つまり国衆は大名の言いなりな存在だと思っていたのですが、実は逆で、国衆の方が主体的に『寄らば大樹』の戦国大名を選択しており、大名は人質とか大きな戦力とかで威圧、脅迫はできても決定権を完全否定できなかった、という。翻って見れば『表裏比興のもの』つまり油断ならぬ人物と称されるのは、だいたい国衆クラスの武将であり、彼らは大勢力の狭間でいかに自家の存続を図るのかと模索し続け、つまり有利そうな方へ何時だって寝返る存在であったのは、当然と言えば当然ですよね。人質が殺されようが関係ない。自家の存続さえ確保できならば、と。

 でも、この本で龍造寺隆信が血統的には水ケ江龍造寺家なんですが、継いだのは本家という不思議現象を知りました。長男の息子だけど出家しているし、水ケ江龍造寺家は叔父が継ぐ事で決定されていたそうで、母方の血縁で本家相続らしいですけれど、複雑な事情がありそうだ・・・解明されていないけど、という。

 編纂物や軍記物からしか追えない存在は難しいです。研究者の方には頑張って解明して欲しいなぁ・・・