pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

コミュニケーションだいじ

 昨夜は、マーボー春雨が出てしまったので、他のおかずなら小皿にとって翌日以降に残すという事も選択肢にあるのですが・・・汁を吸いきって太くなった春雨を翌日に食べるのは避けたいな。これを食べきるのか。そうだ、酒のちからや!!というて麦酒二缶干しました・・・今週酒が飲めるのは後一日です。大切にしよう・・・

 そして『コミュニケーションだいじ』という題名は、この本を読んだからでした。

 

 第一次世界大戦からイラク戦争までの、著名な戦争の終結エピソードをつづって、始めるのは簡単で、終わらせるのが難しい戦争の終結の仕方を考察したものなのですが・・・読んでて思うのは、なんとまぁ意思疎通ができずにひどい展開になっていくのだろう、ということ。敵との意思疎通が困難というのはともかく、味方同志すらコンセンサスをとる事が難しいという。

 第一次大戦がヒドイと思ったのは、まず初めて知ったのですが、アメリカは連合国ではなく、連合国に協力している国として参戦しており、連合国である英仏の意思決定とは距離をとっていたこと。だからアメリカのウィルソン大統領の提案は英仏が承知していたものではなく、彼の十四か条の提言にとって和平工作を開始したドイツは結局裏切られたと感じ復讐心をたぎらせてしまったこと。

 逆に第二次大戦では英米ソの三国は単独講和を禁止し、ドイツを無条件降伏させるまで戦争を続ける、という点で一致していた為、ナチス政権だろうと、反ナチスであろうと関係なく和平交渉の相手にしなかったらしいです。つまりドイツを徹底的に屈服させないと目的が達成させられないと認識していた。

 イタリアに対してはそうではなく、ドイツから離反させる為に条件を緩和していてムッソリーニだけを標的にしていたようです。ただ手続きが早すぎてイタリア側の準備が整わず、ドイツにイタリアが一旦制圧されてしまい効果は半減しましたが。

 日本に対しては、今度は足並みが揃っていない。というか、そろそろアメリカとソ連の冷戦が始まりつつあり、東アジアにソ連の影響力を増やしかねない対日参戦をどうするのか?って話もあった。あとポツダム宣言ソ連の署名がなく、ここに日本が『ソ連仲介和平』という幻想を抱いてしまった原因があるとも。原爆よりもソ連参戦の衝撃が無条件降伏を決断させた、かも知れませんが。日本は損切りの決断ができなかった為に破滅を招いたとも。

 朝鮮戦争ベトナム戦争は交戦相手同志が互いの継戦意欲を見誤ったが為に長期化してるとか(朝鮮戦争は現在、果てしなく平和に近い休戦状態に過ぎませんが)、湾岸戦争では現在の犠牲を嫌った為に将来の脅威を残してしまったとか。アフガニスタンイラク戦争は根本的な解決を目指し、用意周到に準備して短期間で圧倒的決着をつけましたが、その後の統治政策の可否は別という代物。

 人間、行違う生き物ですから、やっぱりコミュニケーションはだいじですよねー、とか思いました。はい。

 

評伝

 眠い日々です。ゲリラ的に眠い。まとまって睡眠をとると六時間弱で目覚めて、日中ハイになっていないと眠くて仕方ないという・・・こうなると日本にも昼飯後のシエスタをとる習慣があってもいいと思うんだ・・・けど、いざそういう習慣ができると寝付けなくなるのでしょう。厄介な。

 胃腸の調子がそんなに良くないので飲酒を自重しています。少なくとも週二回ぐらいまで絞りたいかな。絞ればいいんよ、人さまと飲むことは、そんなにないので。お腹の調子が良くないと飲みたいとはそんなに思えないし、そして飲むと勢いづいてしまうという奴。まるで「イヤよイヤよも好きのうち」みたいな。違うか。

 とにかく便の調子が改善するまで、飲酒は週二回にしやう。

 そして読み終えた評伝。

 

 歴史研究者の手になる評伝なので、塩野七生さんの『フリードリヒ二世の生涯』とは異なる感じになるのかしら、と思い借りました。意外な事に、生涯を通じてローマ教皇の権威・・・宗教的なものではなく世俗的な支配欲と戦い続けた印象があるのですが、時期的には融和な関係であった時期もあったようです。特に長子ハインリヒ七世の反逆に対しては時の教皇グレゴリウスとは協調していたみたいな。

 あとはだいたい塩野さんの評伝と変わらないかな。支配方法は、ローマ法を参考にして法典をつくって、それが近世まで南イタリアでは有効であったとか、そういうところが最初の近代人的な評価になるのですが、しかし網羅的に支配した訳ではなく、各種支配単位をそれぞれの方法で個別に支配していたみたいな感じですかね。そしてそれは母方のシチリア王家の支配方法でもあり、中世的と言えば中世的です。あと古代的な広く浅くの徴税であった訳ではなく、それなりに過酷で、戦争を課税の目的にするところなんか、中世後期の王侯たちのやり口ですよね。そういう意味では、やっぱり近代の入り口に立っているといってもいいのかな。網羅的な徴税体制って自分が知っているかぎり英仏百年戦争中のフランス王シャルル五世が嚆矢みたいな感じだし。しかもシャルル五世の施政も評判が悪く(当たり前か)、彼の死後は税金制度は廃止された筈。

 まだまだ国民国家の意識は薄い・・・いやない時代ですからね。領民からすれば王侯は自分たちを守っているというよりも、王侯同志の財産争いをしているってイメージが強いでしょうし。ジャンヌ・ダルクの登場も「フランス人の悲鳴」というよりも外国人に痛めつけられた人々の悲鳴ってイメージが強く、国家フランスを意識したものではないよーな気がする。そういう位置づけは後世から敷衍できるけれども、同時代人には、そんな意識はないんでないかなぁ・・・そんな事を思いました。

昨日、書きすぎた

 つまり、ネタがないです。あ、関東では梅雨入りしたそうですが、名古屋は爽やかな晴天でござります。夏バテというか、温度差でやられる日常でございましたが先週一度車運転中に冷房をかけずに走ったのですよ。当然蒸し風呂状態になりますが、一度それを体感すると夏の気温に対応できるようになる・・・気がします。どーなんですかね?

 今読んでいる本はフリードリヒ二世の評伝と『戦争はいかに終結したか』という本です。

 最近の評価では神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世は『ルネサンスの先駆』ではなく『中世の頂点、凋落の始まり』という評価らしいですね。解ってはいましたが塩野七生さんの『皇帝フリードリヒ二世の生涯』は小説カテゴリーに入るもので、研究者のものだと思うと危険です。あくまで入門書、フリードリヒ二世の物語のアウトラインを得るにはいいという感じ。彼の幼少期のエピソードはかなり創作に満ちているみたいですね。しかし今のところ大はずしはない筈。日本史研究者が「司馬遼太郎作品は文学的に優れているだけに歴史家としては厄介な存在」と言うほどではないと思います。まぁ司馬遼太郎が活躍したのは四十年ほど前ですからね。その当時に比べれば研究も進み、通説も改められています。問題は、司馬遼太郎歴史小説を史実であると頑なに思い込んでいる人たちが、研究者の仕事を「間違っている!!」と非難する事で・・・まぁ、そういう事もあるし、物語が自分に合っているどうか、純粋にそこだけが評価になるのだな、と思うと、あんまり見境なく歴史小説を読む事はしなくなりましたが。

 いやね、三谷幸喜さん脚本の『鎌倉殿の13人』のこと、あれもこれも史実と違う!!って非難する人がいるのですが、創作作品としてその人は気に入らないのだろうと思うのですよ。歴史小説は史実をネタに作者がファンタジーを膨らますものだし、史実と違う要素がどんな物語を構築する為のものなのか、それが受け取り手が楽しめるかどうかが問題であって、史実うんぬんは違うよね、と。

 よっぽど「気に入らなければ、ご覧にならなければいいのに」ってTwitterで書き込もうと思ったけど、その方、文筆のお仕事で(コラムで)史実とドラマの違いから話題を掘り下げて見えるので、気に入らなくても見なくてはならないので、まぁ仕事なら仕方ないよね。ストレスをTwitterで垂れ流しているだけなのよね・・・フォロー解除するか・・・とか思ったりする。自分が気に入っている物語の非難をちくちく目にするのも楽しい作業じゃないからなぁ。

 あ、気が付いたら1000文字超えてた。

二冊読めた

 どっちも新書版なんですけれども、読後の満足感は・・・うーむ・・・

 一つ目。

 

 個人的には浅草寺あたりから説き起こしてくれるかと思っていたのですが、『江戸』ですからね。浅草寺は近世になって江戸市街に飲み込まれたという事で、そんなに多く取り上げられていないです。

 秩父平氏の一派である江戸氏の本拠、苗字の地としての江戸から始まっています。どうも川の渡し、陸路と水路の結節点として始まったみたいです。現在の江戸城・・・皇居の位置に城を築いたのは太田道灌が最初、みたいな事を言われていますけど、その前から拠点はあったようです。ただ町屋、城下町の形成は紆余曲折があったみたいで、川が近いから、その流路の変更とか、城の大手口の変更とかで変遷があったみたいです。最初は東西道沿いの平川、次に川に面した大橋宿・・・そんな感じ。決して鄙びた寒村という訳ではないですが、大発達した都市部、という訳でもない。

 小田原北条氏時代は、城代に遠山氏を置きながら、時には古河公方足利義氏の御座所になったり(もっともご本人は長期滞在していない。御座所予定地として長らく指定されながら政治状況の変化で他の地を転々としていたらしい)、隠居した北条氏政が領地東方の対外対処に利便性を求めて江戸城にいたりしたそうです。徳川氏と同盟を結んでからの北条氏の主敵は『東方之衆』と言われる北関東の諸将なので、それに対応する為、なんでしょうかね。隠居=引退ではないのが当時の風習で、隠居が亡くなったり、大病して寝込まない限りは当主見習い期間とでもいう感じなので、北条氏直は問題が対処しやすい内政とか徳川氏への対応とかしていたのですかね。

 徳川時代に入ると、豊臣政権期は政権の指定によって関東各地に徳川家臣も配置され、江戸への入部も家康の発案なのかどうか・・・しかし家康が政権をとると天下普請となり、それまでは関東の城と同じく土の城であったものが、高石垣を備えた現在の姿に変貌したと。しかし城の土台を固めるべき良識な石材を得る事が難しく、遠く伊豆でとれる安山岩とかを使用したとかで、そっか、関東で石垣が少ないのは、材料調達が困難であった事も一因だったよねー、と。

 冒頭に江戸幕府成立はいつなのか、という問いかけがありましたが、家康が征夷大将軍に就任した時の政庁は伏見だし、徳川家の政治は秀忠の江戸で行われても、天下支配は家康の居所で行われていたようだし、制度的には豊臣家滅亡後に確立したみたいだし、今のところ鎌倉幕府室町幕府の成立みたいに議論が深まっていないので、江戸幕府・・・徳川幕府の成立は昔ながらって感じですかね。

 あ、もう一冊の事を書く余裕が・・・あっちは少ないのだが・・・ええい、書いちまえ。

 

 幕末の四賢侯の一人で、公武、雄藩との折衝で汗をかいたけど、明治維新後はあんまり報われなかったみたいな感じの人です。真面目な勉強家で、あんまりフィクサーに向いていないのに、その役割を担っちまったみたいな印象。

 あと、この時期の話を読むと良く思うのは『報連相』が不十分・・・これはあれですか、トップダウンになれた複数の人が主導権を握っていたので、つまり命令すれば部下が実行してくれる事に慣れすぎていて、根回しとか、世論形成とか、そういう事を感覚的に思いつかないからなのかな。すれ違いで仲たがいする事が多い事。幕末の目まぐるしい敵味方の分裂、結合って、そういう事が原因なのかな、と思ったりしたり。

 そんなお話でした。

ミスはあるある

 今朝も、そのお客さんの注文なのに「違うお客さんです」とか思い込みで言ってしまって、後からの確認で判明するという・・・先週から思い込んでいたんですよね・・・なんでだろう?

 土曜日、豚白モツトマト煮込みで、個人的に敗北し(思ったほど柔らかくなかった)、日曜日、マルチホラーRPGインセインを遊び(切ないシナリオでした。すげぇ好みの内容。ギミックもヨカッタ)、艦これイベントで、前日までの苦しみは一体なんだったのか?というぐらいあっさり新艦を掘り当て、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、あ、姫の前のエピソードはそういう風にこなすのね、と思ったり、比企さんと北条さんの陰謀に対する温度差とか、来週の修羅場が楽しみで仕方ない。でも考えてみれば、姫の前との間に二人ぐらい男の子ができて、どちらも鎌倉史を彩る存在になるんだよなぁ、と思ったりしたり。

 そして見たもの。

 

 ぱっと見た感じ、『サマーウォーズ』みたいにネット空間を半分舞台にしているので既視感を覚えますが、あっちは便利ツールみたいな感じ。こっちは自己表現のカタチって世界かな。母親の死から立ち直れない女の子が自分の才能を開花させるけれど、そこで遭遇した秩序を乱す竜の存在が気になって・・・そんな感じ。『美女と野獣』テイストだと錯覚すると、間違えるような気がする。虐げられたもの、マイノリティの救済みたいな話ですかね。

 音楽と映像は素晴らしいし、主人公とその周辺の高校生たちのやりとりは楽しいし、コミカルだし、切ないけれども、なんぢゃろね?作品全体としてのまとまりが、『サマーウォーズ』に比べると・・・うーむ。

 ラストのDV親に立ち向かうシーンとか、様々な設定とか想起できる演出だったよなー、でも高校生の女の子がやれる手段だろうか?なかなか危険だぞ。それを送り出す方もどうなのよ?とか、色々考えたり、腑に落ちなかったり、すっきり『めでたしめでたし』とは感じられなかったかな。

 あとから声の出演者を確認して、あれれ、顔を出しての演技と、声優としての声が凄く違うな、解らんぞ、とか思ったり、幾田りらさんは、あぁ解る解るとか。そういうところは気になってちょろりと見返しましたね。

 『サマーウォーズ』の円盤を購入するのは躊躇しなかったけれども、今作は・・・うーむ・・・うーむ・・・嫌いぢゃないけれども、もう一つ背中を押すようなものが欲しかったなぁ。

二十年ぶりかな

 新装文庫版が出たので購入し、ようやく昨夜読了。

 

 二十年前に最初に手にしたのはソノラマ文庫版です。その時は普通に読んで、続編でるかな?と思っていたら朝日ソノラマ自体が朝日新聞に吸収?されて、朝日新聞社の新書で再版されて、ま、それは大人の事情によるものだから買わなかったのですけれども、今回のシリーズ再版は、続編が発刊される下準備という事で、それにコンパクトな文庫版なので買ってしまえ、と。たぶんソノラマ文庫版は書棚の奥にあるよ、たぶん・・・

 今回は国家が秘匿していた深宇宙(というても宇宙全体の視点から見たら太陽系のお隣さんみたいなものですが)で発見されたものを確認して公にしてしまうというお話。サスペンスになるかな?と思ったら未来につなぐ結末になりました。

 この本にのっているエピローグって当初からありましたっけ?ラブラブなお二人さん・・・しかしまぁ、続編は成人した二人が引っ張っていく形になるのではないかなぁ、と思ったりしたり。何十年単位の歳月がかかる宇宙探査の話ですから、二人が結婚して老年になっているパティーンは十分あったり、ひょっとしたら二人の子か、孫の世代の話になっていたりしてね。

 スペースオペラで超光速航行を使用せずに物語をつくるっていうのは、結構大変で、登場人物に延命処置させるか、冷凍睡眠させるか(この本でも、ちょろりと出てきて大騒ぎになっています)しないと、そして宇宙船内とそれ以外の時間の流れのすれ違いを描くのがネタの中心になるのですが、どーなるんですかね。『星のパイロット』のシリーズでやるって事は単発で終わる話でもなさそうですし。

 よーつべとかで宇宙開発の現在進行形解説を見ていると、財政問題、技術的な問題、政治的なトラブルと、宇宙開発というものは様々な障害があって、自分が子供の頃にはとっくに月に基地とかあっても不思議ではないと思っていた2020年代になっても、人類は衛星軌道上から外側に長期間滞在する事はできません。アポロ以来、月に人が行った事もない。宇宙ステーションで長期滞在すると、いかに大気圏外で長期間生きるという事が難しいのか、改めて実感できますね。地上と宇宙の往還が、まずそこからして難しい。スペースシャトルが当初から経済的に落第点と解っていて、政治的な目的で運営されていたとか、その運営に頼りきりでNASAがロケットを開発してこなかったとか(というかスペースシャトルが金食い虫で、政治的にも「万能機」扱いだったから予算が得られなかった、ともいう)、色々の事が歯がゆい。もどかしい。技術的にできても経済的に間尺が合わないとできない、という現実との戦いが、宇宙開発にもある訳で。

 そりゃそうだよね。それがないとお金を着服、浪費されてしまうもの。

 そんな事を考えたりしました。

比較的高い気温に体が合わせている・・・

 気がする。なんとなく。明け方に寒く感じて布団かぶると、暑く感じて二度寝ができないという奴。難儀難儀。

 おなかの調子は落ち着いてきている感じ。やはり飲酒すると暴食してしまうから、それでお腹下りーぬになってしまうのでしょうな・・・しかし土曜日には豚白モツのトマト煮込みリベンジをしたいであるので、その時までには赤葡萄酒が飲みたくなりたい。つまり、飲酒自重・・・言葉違う?(あれ

 さて昨日読み終わったもの。

 

 読むというよりは見る、なのですが、一応イメージ小説みたいなものもついているので。TRPGシノビガミ』のカバーイラスト時代から存じている、というよりも、自分が知っているのは、ほぼそれ。イラストイメージが、ほの暗く、曖昧な和風黄昏。でも豪華絢爛って感じで、コミティアの同人誌でもこういうテイストのものをよく手に取り勝ち。何処の何処だから判らない胡散臭い人々や街角のイラストが結構好きなのかも。

 眼福、眼福・・・

 

 はい、例の奴も一様読了しました。平将門の乱で将門と敵対した伯父平良兼が開発したり、まとめたりしたのが上総国で、豊かさの源泉は砂鉄をもとにした鍛冶、つまり鉄製農具や武具、馬具の生産。そして馬牧の管理を牛耳って軍馬を調達しやすかったことが上総広常の巨大な勢力の源であったと。

 反平氏になったのも、その一年前の政変で自分の利権を平氏政権に邪魔されたからで、吾妻鏡よりも主体的な理由で頼朝陣営に加わったと。更に頼朝に誅伐されたのも、彼が尊大だから、とか、東国第一主義だから、とかではなく、確証はないけれども状況証拠から奥州藤原氏政策の対立ではないかといいます。

 頼朝にとって奥州は嚢祖と仰ぐ源頼義が前九年の乱で名を挙げた地であり、その源頼義以来の主従関係であるという事を伝説化して、御家人たちを自らの支配下に置こうとした彼にとっては軍事的に制圧しなければならない地域でした。

 しかし上総広常からすると、常陸北部の佐竹氏、そしてそれとつながる奥州藤原氏とは交易を通じて文物を手に入れている間柄。佐竹氏と交戦したのは霞ケ浦周辺の領地争いに起因するらしく、広常と佐竹氏は婚姻関係もあって決定的に敵対する関係ではなかったそうです(その割には騙し討ちしているけど、それはええんか?と思わないでもない

 つまり奥州制圧を目論む頼朝と、奥州交易派の巨頭であった広常。ゆくゆくは対立してしまうであろう彼を先手を打って頼朝が殺した、というのが著者の仮説です。まぁ頼朝の口から出た上総広常殺戮の理由を、京都の公家さえ「本当かなぁ?」と首を傾げているぐらいですから、真相はそんなところかも知れません。

 てっきり谷戸田とかで豊かなのかと思っていたら、上総氏は交易で豊かだったのねぇ。やっぱ江戸時代になるまでの武士って多角的な、商社的な存在だよなぁ。