pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

読み終わった本がないので

 昨日書いた日記の続きとか。

 江戸時代初期に改易された大名のほとんどは信長、秀吉、家康の引き立てで出世したものたちでして、彼らはほとんどが武勇、つまり脳筋でした。そりゃそうだわな。戦場で手柄を立てないと出世できないもの。もしくは能吏でしたが、あくまで個人的能力としての処理能力で、組織力があるとは限らない。

 改易された大名たちのほとんどは、自身の家中を組織化、体系化、法制化する事ができず、個人的能力で統治をしてきたものたちばかり、と言えます。なので創設者である初代とは個人的忠誠関係にあった家臣は、その息子以降とはその上下関係を更新しないのですよね。なので、感情的な対立も起こりやすく、お家騒動にもつながり改易となるパターンがある。

 この現象って平安末期から鎌倉初期までの武士の主従関係に似ていましてね、その頃は主君対家臣の個別契約での主従関係であり、彼の息子とは改めて契約を結ぶ必要があり、だからこそ先祖代々主従関係を結ぶ家臣というのは珍しく『累代の家人』として家臣も誇る訳です。

 時代が下り『家』という再生産組織が確立してくると主従関係の契約も個人同士ではなく『家』同士になります。これが織豊、江戸時代初期に個人同士の契約のような形になったのは、信長、秀吉、家康が手柄を立てた者、自分に忠実な者、という個人で評価を与え、取り立てた事と関係があるのかも知れません。『三英傑』はいずれも社会的背景、自分たちを支持する親族や家臣団が弱い人たちでした。(家康は違うのではないか、と言われるかも知れませんが、近年、彼が大変な苦労をして三河時代の家臣団を統制し『忠実な』家臣団を編成した事が解ってきています。「犬のような三河武士」は江戸時代につくられたフィクションです)『家』として自分を支持し、仕えてくれる者がいないなら、そこからあぶれた次男、三男の『個人』を雇い、取り立て、育てていく他ない。それがあたかも『近代的な』人材登用のように見えたのではないでしょうか?実際は苦肉の策であったとしても。

 同じような立場から戦国大名となったのが伊勢宗瑞なのですが、彼と息子の北条氏綱がつくり孫北条氏康の時に一応の完成を見た小田原北条氏は、今のところ戦国最強の組織力を誇っていました。この辺の、伊勢宗瑞の立身出世のありさまが詳細に明らかになれば、なんか面白いのではないかと思ったりします。