なら日記書かなきゃいいぢゃん、なのですが、一度義務化すると書かねばならぬという使命感が・・・職場でナ(マテ
そんな感じで急いでいるので、とっとと書きます。
この書式でかつて洋泉社という会社が新書版で出していたシリーズ。なんかそこが〇島社というところに買収された事により、そのシリーズはお取り潰しになってしまいまして、それを山川出版社という会社が引き継いだ・・・のでしょうかね。新書版よりも大判なので割高ですが・・・どーしても読みたかったので購入しました。なんか送料とか手数料とかで余計割高感があったので、書店でお取り寄せしてもらえばよかったぢゃない、とか思ったのは忘れよう。
佐竹氏というのは河内源氏の一流で平安時代末期から続く名家なんですが、源頼朝に河内源氏嫡流争奪戦を挑まれて、十年余り抗争した挙句敗北。鎌倉時代は一般御家人でした。
南北朝の騒乱で北朝側で戦い続けた事により常陸守護を世襲できるようになりますが、一族分裂やらの抗争もあり、戦国時代で常陸北部から南奥に影響力を及ぼす勢力となりますが、権力としては弱体でした。どういう事かというと、佐竹家は国人領主の第一人者であり戦功を認める立場に立っても、その主君とまではなれなかったのですねー。小田原北条家との闘争で初期は上杉謙信を盟主としていましたが、越後からくる『関東管領』と在地の領主とでは利害意識にずれがあり、佐竹義重の代になると佐竹家が下野、常陸、下総の領主たちをまとめる『東方の衆』の代表者となりますが、抜きんでた軍事力を持つわけではなく、あくまで盟主。
一見対等な立場での同盟は幸福な繋がりみたいに見えますが、利害関係の調整を怠ると空中分解の危機になっても強制力がなく、求心力の低下は急速にやってきます。つまり旧態依然とした権力体であり、戦国早期に戦国大名化した北条家との戦いは苦戦の連続でした。まぁ北条家自体が周囲に敵持つ身なので何とか対抗していますが、象徴的なのが中央の『小牧・長久手の戦い』と連動して行われた北条家との『沼尻合戦』で、戦力としては互角の数を集めて、引き分けの和睦に持ち込みましたが、その後、世同勢力への北条家の攻撃を防ぐ事ができず、同盟者より「前代未聞だ!!」と非難される事も。
そんな佐竹家が名実ともに大名化し、国人領主を家臣化できたのは豊臣政権下の軍役賦課に対応できなければ、改易されるという危機感でした。たぶん長年戦い続けた小田原北条家が、一度豊臣政権と矛を交わしただけで滅亡した事実が、そういう危機感を生んだのでしょうね。今までの中央政権とは、その規模、意思、実行力が異なると。
ほんとは大坂の陣あたりまでの事を知りたかったのですが(岩明均さんの漫画『雪の峠』で描かれる関が原合戦後、秋田に転封となった佐竹家の話を知っているので、そのあたりのお家騒動を研究者視点で詳しく知りたかった)、まぁ戦国期がメインですからね。江戸時代の佐竹家については、また調べるとしませう。