pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

「暴れん坊将軍」のファンではないです。

 読み終わった本の事です。

 

  松平健さんの『暴れん坊将軍』のイメージが強いのですが、また二十年以上前に西田敏行さんが主演した大河ドラマのイメージとかもあるのですが、歴史上の人物としての徳川吉宗のイメージは「経済に明るくない人が経済問題に取り組んで、結果傷口を広げた」みたいな感じがあります。

 当時の日本の武士階級の収入を増やす為には、一番簡単な方法は耕地・・・稲作地を広げて米取れ高を増やす事だったのですが、鎖国状態の日本では余剰米を輸出する事はできず、国内市場のダブつきは即座に米価の値下がり直結し、他の物価変動から遊離してしまい、結果、取れ高増えたが収入減ったという状況に。

 米価を上げる為に様々な手を打ちますが、どれもそれほど効果がある訳ではなく、米取れ高経済の脱却を図らなければ根本的な問題解決にはならなかったのですが、彼の代ではそれはできませんでした。

 まぁこれは将軍となってからの業績の一部なんですが、そうなる前、つまり紀州藩の分家大名格になり(収入は十万石だけど実際の領地支配をしていた訳ではない)、長兄、次兄が早世した為に(もう一人の兄は元服する前に夭折)紀州藩主になって十年ぐらいの期間のお話です。

 母方の実家は没落した家であること。上方経済を無視できなくなり、紀州藩主の参勤交代路線で大坂周りを経由し始めたこと。宝永地震による海岸線の被害が深刻で、その再建を始めたこと。

 しかし藩主になった頃、徳川将軍家も病床の六代、幼少の七代と続いた為、将軍家をフォローする御三家として江戸在府が常態化していた事、なんかが解りました。あと隠密御用を整備したのは彼なのですが、その原型をつくったらしいですね、藩主時代に。

 ま、そんな感じです。結局のところ、戦国期までの武士は経済的にはコングラマリットで、稼げるならば何でも手を出す、でしたが、江戸時代に入って領主として収入形態が固定化してしまい、そこから発想の転換ができない、というか、金儲けの現場にいないので、他の収入形態を探す事ができないパティーン。ま、江戸時代、長いからね。長く安定した社会の弊害は、なかなか新しい事を試みる事ができないという事でして、仕方ない事なのかも知れませんね。