pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

最上義光

 好奇心なんですよ、はい。

 

最上義光 (織豊大名の研究6)

最上義光 (織豊大名の研究6)

 

  これを読んで最初に思ったこと。思ったよりも研究層が薄いな、と。編者ですら最上義光の専門家ではないとお断りを入れているし、なので最上義光という戦国武将の略歴させ中を読まないと、いや、読んでもぼんやりしている感じです。

 これは彼の一生が、家中統制を巡って父弟と争い勝利し、国人領主同盟から戦国大名化をはかったこと、豊臣政権において豊臣秀次失脚事件に巻き込まれたこと、関ケ原の合戦で最も利益を得た一人であること(石高が二倍以上に拡大している)、豊臣秀頼近習となっていた嫡子義康を排除せざるを得ず、家康、秀忠近習として配した家親を後継にした事により家臣団の統率が乱れ、尚且つ義光死後家督を継いだ家親が早世した事により、幼い後継家信では家中をまとめきれず、大名としての最上家は終わります・・・という・・・あ、義光の一生ではなくて最上家の顛末になっちゃった。

 これは資料的な問題があります。豊臣大名になる以前の資料が少なく、そして江戸時代に入った途端に滅亡したも同然なので、あまりにも資料が少ない。最終的に五十七万石の大大名(国持ち大名クラス)にまで領国を拡大しますが、たぶん、これ、あまりにも急激に拡大してしまったので(関ケ原合戦以前は二十三万石だったかな)、組織を整える事が追い付かなかったのではないか、と。江戸時代初期に改易される大名たちと、ほぼ同じ問題を抱えていた事になります。

 最上家は足利氏御三家の斯波家の傍流の、そのまた傍流で、つまり足利一門の名門なのですが、順調な家督継承、勢力拡大をしてきたとは言い難く、父義守は中野家からの養子であり、ここから類推すると・・・家中統制に苦しみ続けた歴史だったのではないか、と思います。それが義光の辣腕によって急速に統制が取れ、拡大するも、その後の継承に失敗(後継家親の早世が一番の原因)という、名門なんだけど新興大名だった、というジレンマ?背理?があったようです。

 面白いですネ。

 最上義光は名門の当主らしく文芸に秀でていたようで、源氏出身武士として『源氏物語』への造詣も深かったようです。

 そうなんですよ。『源氏物語』という王朝物語が現代まで幾多の写本に恵まれて残ったのは、武士で源氏出身と主張する人たちが、自身のルーツとして『源氏物語』を手元に置き、ある人は読破だけでなく文芸にも生かしているという意外な事実があるのです。架空の貴族物語が、殺人を生業とする源氏武士たちに珍重されるっていうのも面白いですよねー。