pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

んで書きたかった方

 意外に第二次大戦中のヨーロッパに日本人がいたのだなぁ、と。

 

ポーランドに殉じた禅僧 梅田良忠

ポーランドに殉じた禅僧 梅田良忠

 

  弁護士の父が早くに亡くなった為、幼少の頃から禅寺で過ごしており、子供の頃に得度(出家)なさったようです。なので『良忠』は『りょうちゅう』と読みます。

 最初は財閥というか企業の援助で1920年代のドイツに留学する予定だったそうですが、渡航中にその企業が左前になって援助が受けられなくなり、渡欧の船中で親しくなったポーランド人(のちに親友になった)の誘いを受けてワルシャワ大学に留学。そのままポーランドの東方学院(東洋学院と訳される場合が多いらしいですが、元々はポーランドから東の地域を研究し、防衛する事を目的とした機関。仮想敵国はロシア=ソ連)に努め、日本語を教えていたようです。また日本大使館の現地スタッフとしても働いていたようで、ポーランド人の恋人もいたりして、それなりに幸せな生活を送っていたようですが、日本がドイツと同盟して第二次大戦が開戦されてから運命は暗転します。

 ポーランド人は伝統的に親日的な人が多いのですが(ロシアを仮想敵国にしている同志なので)、第二次大戦はポーランドを瞬く間に蹂躙したドイツと日本は同盟しています。ここから複雑な状況になるのですが、英国に亡命したポーランド人は諜報機関は日本の外交、諜報機関とは繋がっていて、お互いに便宜を図っていたようなのです。ポーランド側は日本の外交官に立場を保証してもらい、いざという時に退去(逃げる)の手助けをしてもらう。日本側はポーランド側が収集分析したヨーロッパ情勢の情報を得る、という。その文脈でユダヤ人脱出に尽力した杉原千畝も存在していて、元々ポーランド軍人を脱出させる為にビザ発行手続きを用意しており、日本人がまったくいない地域の領事館を運営していたのは、独ソ戦の情報を収集する為でした。その情報源の一つがポーランド人だったと。結果としてポーランド軍人よりポーランドユダヤ人の方が脱出する人数が遥かに多くて、その事が有名になりましたが。

 梅田さんもその人脈からしポーランド筋の情報を持っている人でしたが公的機関ではなく私人でして、しかもポーランドは連合国側、英国に繋がっています。それ故に日本、ドイツから警戒され、終戦の一年前のテヘラン会議において、ソ連がドイツ降伏後三か月で対日戦に参戦するという情報を日本の外交官に伝えても、確度の低い情報として取り上げられなかったようです。

 結果として日本は『仮想敵国』であり、その後の交流、親睦などさほどしてこなかったにも関わらず『中立国』ソ連を信じて連合国との和睦交渉にのみ望みを託し、ずるずる戦争を継続してしまったのですが・・・結果からすると道化以外の何物でもない。

 こういう事を知ると、多くの人間っていうのは信じたい現実しか見ないものなのだなぁ、と思いました。

 日本とポーランドを愛し両国の為と思って諜報活動をしていた梅田さんでしたが、結局退去を余儀なくされ、戦争が終わったら今度は東西冷戦の開始でポーランドには生前、二度と訪れる事はかないませんでした。代わりに長男の方がポーランドに留学、そのままポーランドの女性と結婚して『連帯』にも属し90年代の共産圏崩壊の立役者たちと親しく活動していたそうです。んが、日本国籍ポーランド国籍に改める事はしなかった。「選挙権を得ちゃうと友達と親しくできなくなる」『連帯』が政治的に分裂してかつての友人同士が選挙で争う立場になってしまったから、の選択らしいです。まぁその長男の方も2012年に癌で亡くなっているのですが。

 梅田さんっていう人、結婚は48歳。日本に帰国して空っぽ状態に(青春を虚しく費やしてしまった、とはご本人の弁)なった時に知り合い、意気投合した日本人女性と結婚しているのですが、ポーランド時代、戦時中も結構ポーランド人女性と付き合ったりしていまして・・・やるな。そういう人だから『スパイ』と目されたのかもしれません。

 この方の文章、何処かで読んでいるかも知れないのですよね。最終的に関西学院大学の東欧史の教授になっておられるので、学生時代にそちらの研究書とか紹介文とか読んでいたら、梅田さんの文章かも知れません。手がける日本人が少ない分野だし。

 なんかね、こういう日本人が意外に多く戦時中のヨーロッパにいたという事が印象的でした。