pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

再読かも知れないけれども

 たぶん二回目ぢゃないかと思うのですが、まぁ今回は熟読しましたかね。

 

室町時代の将軍家と天皇家

室町時代の将軍家と天皇家

 

  足利将軍家は、その権威を武家では唯一天皇に直結し、即位経緯に疑義を持たれた後光厳天皇系統の天皇家が行う儀礼を荘厳で故実に即した形で行い、その権威を保証した形で自分たちの権威とした、というのがこの本の主旨です。王権簒奪説のある足利義満は、彼の秩序だって儀礼に対応できない、あるいは参加しようとしない後円融天皇や公家を圧迫しましたが、だからといってそれにとって代わるつもりではなく、後円融天皇がだらしないのであるならば、子の後小松天皇を盛り立てる。その手法が自らを『治天の君』になぞらえて、その皇位を保証する、というもの。

 なので足利義持が父義満への反発から、と言われる行動は、足利将軍家としては過剰な権威である為(武家の長としては、『治天の君』として君臨し、朝廷の儀礼に通暁するなど、とてもぢゃないが物理的にこなす事はできない。つまり義満の才能、個性あってこそなので必須ではない)、やらなかった、というのが本の説です。

 朝廷儀礼を厳粛荘厳に行う事で、武力財力を持たない足利将軍家武家に君臨する権威を確立した訳ですが、その儀礼を『漏れ聞く』消極的な観客である守護大名が在国志向になってしまった応仁の乱以降、将軍の権威は新たな保障を得なければならず、足利義尚、義材は親衛隊たる奉公衆を率いての軍事的成功を求めますが挫折。明応の政変によって、その権威は簡単に挿げ替えられるものに低下してしまいました。

 こういう説明からすると戦国時代は明応の政変から始まるという説は正しいかも知れませんね。それまでの足利将軍はまだ自立的な権威を持って京に存在感を持っていたのですから。明応の政変以後は対立者の存在する権威者になってしまうのですもの。

 んでだいたい同時代の話の本を読んだのですが、そっちは明日にしますか。