pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

朝から笑ってしまった

 ブラッド・ピット主演の伊坂幸太郎著の小説を元ネタにした(PVと原作小説のwikiを見比べたら、元ネタを書くのが正しいような気がする)映画のPVを見たら、未来感マシマシのなんちゃって日本が舞台で、高速鉄道内で殺し屋たちが乱闘を繰り広げるブラックコメディだったので、ゲラゲラ笑い転げてしまいました。笑うって大事だよなぁ、って思うですよ。暗いニュースが多いものですから。元ネタ小説も今度読んでみよう。

 でも読み終えたのは全然関係ない本ですけれども。

 

 室町幕府将軍になった人たち十五人と、その兄弟で政治的な足跡を残した人たちを含めた評伝集・・・みたいな?他と異なるのは、「足利尊氏とか、皆知っているでしょ?だから室町幕府プロパガンダと言われている『太平記』視点の尊氏像がどのように作られたかを論ずるね」みたいな感じの評伝も混じっている事で、そういう視点から描かれると、尊氏という男がいかに情緒不安定で豪快で、一緒に戦場で戦った者たちには人気があるけれど、そのやらかしの後始末をするのは大変だよね、という事が解ります。

 その視点で弟直義や息子義詮の評伝を見ると、二人に同情的にもなる・・・が、義詮に関しては、尊氏の息子らしいというか、何というか、危機的状況に反射的に、矢継ぎ早に対応していて、長期的戦略はないけど何とかしました!!感が強い。

 なので次の義満は幼くして将軍になってしまった事もあり、後見人たちの政治活動をじっと見て自分や室町幕府の進むべき道を邁進したみたいなところがあります。んで、個人的善意と良識に基づいて勤勉に働く独裁者みたいなところがあり、特に多くの公家なんかは「貴方が正しいし、従わないと出世どころか日々の収入も危機に陥るから従うけれど、でもさぁ、何百年もルーズにしてきたものをさぁ・・・」と思っているのが解ります。ただルーズにしてきた事が朝廷権威の失墜をもたらし、ひいては自分たちの生活を苦しめる事に繋がるって事を理解している人は、義満に協力的なんですけれど。

 四代義持は義満の政治資産を取捨選択し、幕府最高権力者である『室町殿』の在り方を規定し、相対的な安定期を出現させます。彼の息子が長生きして、その路線を踏襲し続けたら、もうちょっと応仁の乱みたいな事件は先延ばしになったかも知れませんが、そうはならず。彼の後は籤引きで選ばれた弟義教。仏教、神社に帰依していた義持からすると、人間である自分が後継者を選んだところで従わないものも出そうだから、神慮に伺う籤引きの方がマシ。それに託宣で自分には血のつながった後継者が得られるって出てるし、それ信じているし!!なんですが、義教からすると兄貴からのご指名でなかった事が不安で仕方ない。

 不安な人間は時に過激な行動をとりやすく、それをやり過ぎたが為に、もともとは義教の行動を強く支持していた赤松満祐を疑心暗鬼にさせてしまい、ぬっ殺される事に。このあたりから室町殿の権威もおかしくなりますね。

 だが自律的な権力を目指す動きがとん挫しても(九代義尚と十代義稙)、『武士の王』足利将軍の権威は戦国時代でも武士たちの行動を規定します。やっぱり戦国時代は覇を競う時代というよりも、様々な争いを自前の武力で解決している時代っていう方が正しい気がします。最後の将軍、足利義昭が追放され、足利氏の血筋擁立よりも畿内を実効支配する実力者を武家の棟梁にする方が、「天下静謐」に都合が良くね?という事に朝廷あたりが気が付いて、ようやく覇権争いになる・・・って、もう半分くらい織田信長対その他の対決になりつつあって、毛利も領土争いの過程で足利義昭を担いだぐらいで、状況が有利にならなければ織田と決戦を挑む事もなかったのですが(決戦らしい主力同士のぶつかり合いは、毛利対織田では、あんまり起こっていないように思える)。

 権威が顧みられなくなった足利家は、ひっそりと歴史から消えましたが、必要がなくなれば、こういうもんなんでしょうね・・・