pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

設定温度ミスった

 最低気温が熱帯夜でないからと言って、除湿で寝たら背中に肌着が貼りつき不快。んぢゃあ冷房にしてしまえってワンタッチで変えたら、今度は冷え冷えに冷えて目がさえて、はい、いつもの寝たのか寝ていないのか判らん状態です。気分的にふわふわしています。もういいです。良くないですが。

 寝つきが良くなるイメージは体が海の底に沈んでいく感じらしいですが、自分難しいです。イメージトレーニングやらないと。妄想は得意ですがのぉ。最近妄想力が落ちているやもしれぬ。

 昨夜は録りおき『鎌倉殿の13人』を木曽義仲登場シーンまで見ました。デフォルメでヤな奴になっている行家・・・いいよ、行家。中途半端に史実に沿っていいとこ見せるより分かりやすいよ。あとこの頃までは喜劇っぽくなっているから見やすい・・・けど、さらっとヤバい事も差し込んでくるのね。7/17(日)の再開までに二十六話まで見終える事はできかしらん。

 んで読み終わったもの。

 

 このシリーズは政治とともに文化とか建築とかに割とページを割いているのですが、この本はほぼ政治史。ちょろっと足利尊氏後醍醐天皇へのシンパシーからか和歌の流派が大覚寺統向きになっていて、推戴している北朝持明院統向きぢゃない事ぐらいですかね。思った以上に足利将軍家は和歌に親しみ、勅撰和歌集にも関わっているとか。

 あとこの本で知ったのは足利義満の絶対君主性は最初に公家社会で確立したということ。彼が幼少期に幕府を主導した細川頼之南都北嶺の強訴対策に失敗した事もあり、他にも他のタイメイたちから反感、孤立した事もあり失脚するのですが、その失敗を鑑みて義満は延暦寺興福寺の武力を担う大衆を直接管理するよう試みます。管理というか、直接要望を聞くというか、利権を認めるというか。基本的に強訴は神輿を京に放置して困らせるというものなので、それまでは大衆が大挙して神輿を強引に京市街、内裏とかに放置するのを何とか怪我人なしで侵入を妨害する事しかできなかったのですが、義満はその神輿そのものを持ち出させないように手を打ったという訳です。

 公家に対しては準摂関家の立場になるように儀礼知識を身に着けて、拗ねて朝廷主宰を放棄した後円融院の代わりに儀礼を取り仕切り、公家を率いて北朝朝廷の威儀を支えます。このあたり、武家勢力や財政的な裏付けがあったと思っていたのですが、これを達成した頃には武家は義満の下一枚岩にはなっていないし、土岐、山名といった一筋縄ではいかない大勢力が存在していたし、その為、将軍家の収入源である御料所も乏しくて、相国寺創建の時もこじんまりとした規模にしようとしていたのを禅僧に説得されて大規模寺院にしたぐらい、しまり屋だったようです。

 風向きは延暦寺を黙らせて、土倉酒屋に課役、つまり税を徴収できるようになってからで、これで安定的に収入が得られるようになり、土岐、山名も一族間の対立を煽って、討伐弱体化させた結果、相対的に絶対性を得たようです。

 鎌倉時代では職掌で地位が確定していたのに、義満期以降の室町幕府は義満との遠近、儀礼の場での立ち位置によって地位が決まったという・・・そういえばフランスのルイ十四世の宮廷序列も王との距離によって地位が図られていたかな?

 鎌倉幕府って真面目に政務をとろうとして手が回らず破綻した政権ってイメージが最近自分の中であって、室町幕府は技術的に精査できない当時の実情に合わせて、悪い言い方するとコネを基に「てきとー」に裁決するって感じ。前後関係を調べてどちらが正しいのか真面目に判決を下そうとする鎌倉幕府の方が近代的な感じだけど、技術的な限界から訴訟は長期化し、訴人の負担は増大するばかりだったから、スピード重視の室町期は、まぁそれなりにニーズに合わせたとも言えます。自力救済が基本だから裁決結果は大義名分でしかなく、執行は当人に任される訳なので、判決で勝っても実効支配できない場合はありますしね。ならば実効支配できる勢力に任せた方がいいという、やったもん勝ちな感じになってしまいますが。

 そんな感じです。