pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

居眠り三昧

 刺繍屋さんからあがってきた商品が配達ではなくて、発送するものだったので、瞬く間に終わってしまい、入荷の連絡を頂いたけれども、あ、雨が降っているからさー、他に出かける用事がないから車動かすにも、がそりんが勿体ないからさー、昼から出かけていません。本を読みながら転た寝と戦っていました。もちろん敗北しています。あ、電話が鳴ったら反応しているから、その分野では勝利です。

 ご心配なく。明日は仕事があります。請求書も可能なら昼から起こしたい。月末締めをナ。

 んで、転た寝しながら読んでいるから読み終わった本もなく、昨夜も時間はありましたが二時間の映画を見るだけの気力は残されていないと自覚しており(Eテレの又吉さんが出演している番組を見ているだけで意識を失いかけたから、ダメだと理解した)何も読み終えず、何も見ていません。

 んで読んでいる最中の、小野妹子とその子、孫の評伝に関してですが、詳しい話は明日できると信じて、教科書に出ているから聞いた事がある人が大半だと思われる小野妹子、ですが、その事績となると遣隋使に行った事、だけっぽいです。しかし二回、しかも前回中国の劉宋(中国の南北朝時代の、東晋の後継王朝。南宋って書くとこの五百年後の王朝になっちゃうので劉氏が建てた宋という事で、こう中国の方では呼ぶ・・・はず)に使者を送ったのは百年以上も前とあって倭国側には何の記録もなかったようで(そういえば倭の時代に漢字を使える人は・・・いたんだろうな?)、外交作法も何もかも解らん状態から、何とか国交を樹立させた小野妹子の業績は称えるべきかも知れません。

 んが、小野氏という氏族の事績が呆れるほど残っていない。古代氏族の和邇と同祖連合(実際の血縁はともかく、同じ祖先を持つという神話の下、結合していたらしい)していたらしい、ぐらいしか解らない。あと、山城と近江の滋賀郡あたりに勢力があって、どうも大和政権の軍事や外交を担ったらしい、ぐらい。

 こういうのって日本古代史では良くあって、あんまり整理が確定しておらず(反証しようにも資料が限られているので、検証できない)、なので読んでいても頭がごちゃごちゃになるのです。斜め読みどころか、すっ飛ばしても居眠りしていた(オイ

 まぁたぶん、明日の日記までには読了していると思いますヨ?たぶん・・・