pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

読み終えました。

 二冊とも。よせばいいのに。明日書くことなくなっちゃうぢゃん!!しかし読み終えたからには感想を書いてしまおう。そうすると片付くから(何が?

 

ブルボン朝 フランス王朝史3 (講談社現代新書)
 

  最初の『カペー朝』から十年。ようやくの完結です。一番『華やか』で有名なプルボン王朝ですが、著者の佐藤さんの評価は『太陽王』ではなく始祖のアンリ四世、そしてフランス革命時のルイ十六世という順番で高いようです。最初と終わりか。

 まぁアンリ四世は解りますよ。創業者ですし、宗教戦争まっさかりのフランスを何とかまとめあげた『ガスコン』ですよ。狡知に長けた田舎者。『三銃士』のダンタニャンと同類ですからね。

 しかし世評では芳しくないルイ十六世、フランス革命の事を調べるほどに、革命議会との丁々発止のやりとり、そして賭に破れた後の潔さを思うと、まぁ確かにね、と納得したりします。

 翻って一番有名なルイ十四世はフランスを統合する指標として豪華絢爛な宮廷生活を『つくった」のですが、さて有効に機能したのかと問われれば・・・さてね?大きな戦争を四つ(だったかな?)行い、ほぼヨーロッパ中を相手に互角以上の戦いをしましたが、得たものは現在の国境線ってとこですかね。植民地争奪戦は完敗ですし、何よりも大借金国家になってしまったし。

 残りの歴代の王たちの評価なんて、まぁ、はいはいってな感じ。結局のところアンリ四世の成果を継承したのは息子のルイ十三世ではなく、彼の宰相であるリシュリュー枢機卿であり、ハプスブルグ家の覇権に挑戦し勝利して尚且つ王家に反目した国内勢力を黙らせたのは、リシュリューの後継者マザラン枢機卿でしたから、王の評価が上がろう筈もないと。

 それにブルボン王家自体、イギリス王室のような「君臨すれど統治せず」の域には、つまりは近代的な王家のあり方を取得する事ができず、王政復古に失敗したのち、今日に至るまでフランスは共和政、民主制、つまり王はいらない国家になったのですからねぇ。

 あ、でもイギリスに比べて相対的に女性の地位が高く(あくまでも比較の問題です)感じられるのはルイ十五世の寵姫ポンパドール夫人が女宰相みたいな役割を果たしたから、かな?個人の感想ですけれども。あ、ここでもやっぱり王ではないですね、はい。

 

 江戸時代まで評判のいい、つまりは鎌倉幕府最強伝説をこさえた男と言っても過言ではない彼の評伝です。江戸時代以降は三人の上皇を配流した男って事で評判を落としましたが。

 彼自身は北条時政の次男で、最初は江間という分家を立たされていました。長男の宗時が源頼朝旗揚げの時に戦死しても、彼は北条時政の跡取り扱いされず、弟の時房が、ついで後妻牧の方の息子政範が時政の後継者扱いだったようです。義時は源頼朝とその御台である同母姉政子の庇護というか、支援を受けていたようです。

 だから後から見ると北条時政の政治資産を継承していますが、それは結果論で、時に迎合、時に反発する存在であり、最終的には北条時政夫妻が源実朝に代わって自分たちの娘婿を将軍にしようとした計画を捕らえて排斥しています。このあたり親子というよりも別の家を建てた当主同士で利害が対立したから、って考えないと理解しにくい。

 後は自らが御家人たちより一歩ぬきんでた存在となる為に様々な事を画策、失敗した事もありますが、和田合戦で勝利して政所だけでなく侍所も掌握し、その侍所の役人に自らの被官人(非御家人)を配して、彼らに御家人を統率させる事で、相対的に他の御家人たちとは異なる立場を手に入れた、と。

 決定的だった承久の乱の勝利に関しても、当初はかなり弱気で、勝利が確定するまでおろおろしていたようです。気持ちは解る。朝廷から名指しで追討命令出されて、それを個人的な問題から幕府全体の問題に拡大解釈して、鎌倉幕府として『上皇ご謀反』という背理を通したのですから。このあたり、義時の尻を叩いたのは老練、老獪な官吏出身の御家人大江広元、三善善信あたり)たちでしたが。

 あと、彼の子孫は得宗家と言われますが、彼の法名から取ったのではなく(観海というらしい)、子孫時宗追号と考えられる「徳崇」から時宗子孫を「とくそう」と呼び、得宗家と呼び習わしたのではないか、という説がありました。

 面白いですね。