pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

二日連続飲み会なのです。

 昨夜食べた松屋のシュクメルリ鍋定食。ニンニクの香りと味が強烈で、大変おいしかったです。本来パン系のものと一緒に食べるところを、ご飯と一緒に食べる為に鍋にしたのでしょうか?スプーンでよそってごはんにかけて食べながら、おこげをはがしながら、そんな事を考えました。

 松屋に酒メニューないのよね・・・ザンネン。

 今夜は飲み屋に(どっちかというとフランス料理屋なのですが)行く前に、ちょろりと町内の人を前に(といっても三人だな、参加者)話をします。持ち回りでやる事になっている筈ですが、機能していません。よくある事です。他の人は仕事上の、あまり他業種の人には分らない事情を語られる事が多いです。前回は精神障碍者の方の社会復帰事業をされている方が、その現状からいかに社会福祉費の中で精神医療分野が増え続けているか、という事を話されて、なんで増税?という原因の一つが、精神医療費の増加にあると知りました。

 なんでそういう事をマスコミや政府は言わないのかな?気軽に精神科医にかかれるようになった事と、それが医療福祉費の増大につながった事をつなげるのが、ダメだとか、差別につながると考えたからなのでしょうかね?

 あたしゃ、そういう話は知らないし、作業服業界の話も一時間持たせる事もできないので、クレオパトラの話をしようかなぁ、と。あの鼻の高低で歴史が変わったとか言われちゃっている最後のエジプト女王の話です。まぁ彼女自身というよりも、彼女にかこつけてユリウス・カエサルの話がしたかっただけです。カエサルの話だとたぶん二時間ぐらい必要です。そんだけ多岐に渡るし、面白い男だし。こういってはなんだが彼に比べれば彼女は、彼に関わった事で「勘違いしちゃった」女、という感じがします。政治センスに乏しい人が、やれると信じて自滅していったみたいな?

 さて、それとは別に読み終えたもの。

 

徳川家康の神格化: 新たな遺言の発見 (中世から近世へ)

徳川家康の神格化: 新たな遺言の発見 (中世から近世へ)

  • 作者:野村 玄
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2019/10/25
  • メディア: 単行本
 

  東照大権現になった過程みたいなのです。ぶっちゃければ、老い先短い功成し遂げた男が、あーでもねー、こーでもねー、と死後の自分の神格化を考えて、メジャーぢゃない方法を考え付いたもんだからトラブルが起こった、みたいな感じです。はた迷惑ですね。こういう人、結構います。父方の祖父もそんな感じで、父の兄弟姉妹は二派に分裂し、片方とは半ば絶縁状態です。ああ、無責任にこねくり回すといかんなぁ、と思いましたよ。

 家康の場合は一族の分裂とかは引き起こさなかったですけれども、その後の神道について影響を及ぼしたみたいで、特に当時メジャーだった神道とは別の考え方を引っ張ってきたので、儀礼確立にも時間がかかったようです。正直理解できなかったし、する気もなかったので、へー、そうなんだーってぐらい。

 一番興味を引いたのは本の冒頭で、静岡の商工会議所や在野の研究者が「家康の遺骸は日光東照宮ぢゃなくて、久能山東照宮にある!!」と主張している事を、著者が反論、というか論難、というか、成立しませんよ、説明しているところで(在野の研究者が資料吟味を行わず、自説に都合のいい箇所を引用して論ずるのはよくあるパティーン)、やっぱり研究の基本を学んでから、趣味の研究をした方がいいよねー、とか思いました。市民大学とかで「研究の仕方、論証の仕方」みたいな事をやるべきだよね、とか思ったりしたり。

 そういえば亡くなった母方の叔母の旦那さん(つまり叔父)が一生懸命、山内一豊の研究をされてみえて新聞にもとりあげられたようだけど、読んだ事ないや。いや、なんか、ほら、ねぇ?(オイ