pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

二話分見るつもりでしたが

 やめとこ、と思ったので『麒麟がくる』四話しか見ませんでした。織田信秀急死の伏線張りでしたね。史実では美濃攻めはお付き合い程度が大敗してしまい、三河方面への進出が信秀や尾張の諸勢力にとっては本命の戦だったようですけど、あんまりその辺は、はっきり描かれていないようです。ま、美濃国の人々の話が今はメインだし。そう考えると今川義元はともかく、太原雪斎を出す意味って・・・ん?

 あと、竹千代出したかったのだろうなぁ、とは思いました。

 あ、今夜は『ガールズ&パンツァー』最終章第二話が届いたので、そっちを見る予定ですから、『麒麟がくる』は明日以降です。んで読み終わったもの。

 

ドゥ・ゴール (角川選書)

ドゥ・ゴール (角川選書)

 

  以前にもド・ゴールの評伝は読んだと思うのですが、その時はだいたい戦後、それも第五共和制、つまり彼が現在まで続くフランスの政治体制になってから初代の大統領になりヨーロッパ政治を牽引するところがメインだった・・・よーな気がします。

 この本は満遍なく取り上げていますね。ド・ゴール家の前史に軽く触れ、法服貴族の末裔だけどフランス革命で地位や財産を失い、その後、どちらかというと文筆、教育分野で生きてきたらしいです。歴史の先生でもあった父親の薫陶よろしく、『偉大なフランス』の為にがんばろう、という気持ちだったみたいです。

 気を付けなければならないのは、ドゥ・ゴールはかなり反骨、唯我独尊的行動をとりがちで、ペタンという上司に巡り合わなければ高級将校にはなれなかったかも知れなかった、と。また機甲部隊による機動戦術を唱えた彼は、マジノ要塞線による引きこもり防御を主導したペタンと対立。まぁドイツの電撃戦を目の当たりにするまで、戦車による機動戦やら空軍との共同作戦やら、そんな事を考えていたイギリスやフランスの将校は少数派でしたからね。

 ドイツのポーランド侵攻のあまりのスピード、中立国ベルギーを蹂躙してのフランス侵攻で遅ればせながらドゥ・ゴールの主張は取り入れられますが、総戦車数、戦車の性能では勝っていても(この本の記述に最初から重戦車のティーガーが戦車主力だったような書き方をされていますが明らかな誤り。ま、ティーガーは数的主力ではなく、ドイツ戦車の『伝説』なんですけれども)、歩兵の弾除け程度の認識、運用では、陸、空で有機的に侵攻してくるドイツ軍を食い止める事はできず、フランスは、特に政府高官は一気に厭戦ムードに。ま、国防予算をつぎ込んでこさえた要塞線が役に立たなかったのだから、萎えるわな。

 抗戦派の人材乏しく、戦時昇進でも少将でしかないドゥ・ゴールが陸軍次官になる体たらく。懸命に抗戦の為の布石、イギリスへの根回し、本国を脱出してのアルジェリアでの反抗などなど画策しますが、非主流派の非力故か、結局フランスは降伏状態に。それはまずいという訳でイギリスから打診されてドゥ・ゴールは亡命政府を引き受けますが、まず四十代後半の大佐にそこまでの政治家人脈はない(一応戦車配備を推進する為のロビー活動で政治家とは積極的に会っていたらしいけど)。また操り人形になる玉ではないのでチャーチルはまだしも、アメリカのルーズベルトがドゥ・ゴールの事が大っ嫌いなんですな。

 この本を読んでいると、その前に『ベトナム戦争』の本を読んだせいか、アメリカの大国然とした高慢ちきなやり口が腹に据えますね。彼らからするとドイツや日本で上手くいったから、てなもんでしょうけど、ドイツや日本は敗戦国ですからね。負かした相手の言う事は唯々諾々と従わざるを得ない。しかし日本の官僚も「戦争にだけは負けちゃならない。こんな悔しい事はない」ま、勝った方の都合を押し付けられて反論できないって奴ですよ。アメリカやイギリスはフランスにもそれをやりかねなかった。まぁヴィシー政府はドイツのいいなりで戦争協力していましたから、その文脈では敗戦国に等しいのですが、ヴィシー政府やナチス・ドイツに反抗したレジスタンスは存在し、また数万規模ですがドゥ・ゴールの下に結集して連合軍を形成し、北アフリカやヨーロッパで戦ったフランス軍も存在しました。なによりドゥ・ゴールがつっばらなければ、フランスは戦勝国と認められず、現在のように国連の安全保障理事会常任理事国にもなれなかったでしょう。

 戦後の制度づくりには一旦挫折しますが、議会至上主義の、つまり第二次大戦で失敗した第三共和政の系譜を引く第四共和政は半年ごとに内閣が変わり、国内外の諸問題に無力である事を証明するだけで、結局現在のように大統領を直接選挙で選び、議会は大統領や閣僚の人事には間接的にしか関われない第五共和制を彼は主導する事になります。

 制度としてはこちらの方が優れていたと、半世紀以上経過した今も機能しているフランスの政体ですからね。

 ドゥ・ゴールは遺言で徹底して自らの葬儀を国葬にしてはならないし、身内だけで密かにやれといい、またダウン症で夭折した次女アンヌとともに葬られること、彼の妻もいずれそこに眠ることを望んでいます。彼の心残りは、ダウン症で生まれた娘のアンヌの世話をあまりしてやれなかった、という事なのですかね。自身の著作物の収益はダウン症患者の治療を目的とした財団に寄付されているそうです。今も回顧録はフランスで売れているそうです。フランスの偉人はパリのパンテオンという建物にまつられているそうですが、そういう理由で彼は自宅のあったコロンベ・デ・ドゥー・ゼグリーズという町に葬られているそうです。

 ・・・さすが佐藤賢一さんの筆だなぁ。ドゥ・ゴールが好きになってまうやんかー。この人一流の講談だと判っていても。自分はこの方は、小説よりも新書の方が好きなんですよね(あ