気温の寒暖差が激しくなると、睡眠が浅くなる傾向があります。この時期です。なので眠くて仕方がありません。昨日も夕餉後(麦酒一缶、日本酒一杯)の後、PCに向かいながら『アレクサンドロス変相』という人様を殴り〇せるような本を読んでいる最中に睡魔が襲来して、アタクシの時間を一時間ばかり奪っていきましたよ、はあ。
なので、まぁ本も分厚いし、早々読み終える事はできないと思ったので、昨夜、転た寝した後に5/31放送分の『麒麟がくる』を見ましたよ。
桶狭間はあっさり流すかと思いきや、戦国大河ドラマファンに〇るように二回分使うようですよ。明智光秀関連のエピソードとしては『永禄の政変』から足利義昭脱出の方が、絶対重要だと思うけどなぁ。こりゃ撮影分にはないかな?蹴鞠蔑視も出た出た・・・上級武士の教養としては必須なんですがねぇ。何か連歌とかは『文化的』とか『教養』とか評価されるのに、蹴鞠は蔑まされる・・・〇鹿公家っぽいから?でもサッカーのリフティングと同じなのよ?そっちは評価されるのにね・・・それに連歌って、なんか現代における『カラオケ』『ラップ』に似ている立ち位置だと考えれば、そんなに教養深いって評価にはならんと思うけれども。
あ、さて、肝は松平元康が母親からの文をもらって、含むところのある今川方を裏切るようなエピソードですけれども、やはり桶狭間で元康が裏切ったんぢゃね?とおっしゃる方はいらっしゃいまして、その推測を唱える方は、元康が大高城に兵糧を運び込む時に援護した服部左京亮の水軍に着目していらっしゃいます。この服部左京亮は木曽川河口あたりの水軍を支配する領主でして、津島と熱田を支配し、伊勢湾流通ののど元を支配している織田弾正忠家とは対立関係にあり、この時も今川方と提携して(従属ではない)出陣していました。千艘は大げさでも、数百艘の船を動員しているのに、信長公記での記述はここだけでして、いくら何でもそれだけで出張ってくる筈がない。もしかしたら今川勢を海上輸送する為にやってきて、それらを尾張西部、庄内川河口あたりまで運び、一気に北上させ清洲城を攻めさせる計画があったのでは?そして先鋒は必ず戦場で敵方と隣接している地域の味方にさせるのが慣習なので、清洲攻めは松平元康の三河勢にさせる可能性が濃厚。だが元康にしてみれば敵中、パラシュート降下よろしく向かうので、下手をすれば孤立、殲滅させられる。しかも戦いに勝利すれば自らの本拠地岡崎は今川の策源地として取り立てられ(その為に隠居今川義元が出張ってきている)、自らが三河の国人領主として復帰する可能性は低くなる。
地元への帰還を望むなら、織田方に寝返った方が確率が高くなるのでないか?だから元康は桶狭間の戦いの折にサボタージュしたのではないか?という推論をされる方がいましてね。
まぁ情愛中心の大河ドラマでは、そんなすれっからしの元康よりかは、会った事のない母親の手紙で、うるっとしちゃう方がいいのでしょうけれど。
しかし元康=家康の伯父である水野信元がやたらと出演されますな。これはアレですか?のちに信長の命令で切腹を命じられる伏線ですか?んで狂的信長エピソードにするのかな?やはりイカれぽんち的な人物でないと信長とは言わない、そうおっしゃる向きが多いという事ですかねぇ?
そこまで描けるのか、解りませんけれどね。