葬儀や天候・・・気圧のせいかな?で眠りが浅い日が続いたので昨夜はそれが一度に来た感じです。同じような量の葡萄酒を通夜と葬儀の夜、妹夫婦や父親(一杯だけだった)と飲んだ時は、昨夜のような睡魔に襲われなかったのですがね。
おかげで映像作品は一つも見ていません。絶対寝オチすると思ったし、もったいないぢゃん、そういうのって。
密林に予約しておいた『ランドリオール』最新刊特装版も届いていないので、もうじき読み終わりそうな本・・・いや、これの事を書くのはまだまだ・・・なんせ信長の側近中の側近なのに、同時代資料からは姓が伺えず、軍記物で『松井友閑』と書かれ、それが一般に流布している人物の評伝です。記録に残っている中で唯一、信長が腫れ物を患った彼の為に医者をキリスト教関係者に手配するよう依頼し(他の家臣にそこまでした記録はない)、遅い!!とか文句を言っている手紙を残している家臣です。というより個人的なつながりが強いですね。
そもそものつながりは友閑が清洲の町人時代に踊りの師匠として信長が通った、というのが始まりらしく・・・あ、ヤバい。このまま書くと全部書きたくなる。やめとこ・・・
とにかく茶の湯や連歌に造詣が深く、堺の町衆たち、つまり茶道が確立する前夜のお茶の達者な大商人たちでさえも一目置くような、感性、価値観を持っていたようで、その素養を元に外交官と、信長の文化的な、主にお茶の顧問ような立場にあったようです。茶の湯を通して家臣の統率、対外的な交渉を行っていた信長家中においては、その存在感は計り知れないといった感じ。しかも有能だし。
まぁ、続きは明日、読み終わったら書くですよ。ランドリオールが届いたら、どーなるか解らないけれども(あ
時事ネタ・・・なのか?新型コロナ・ウイルス、沈静化していると思ったら、東京とかで感染者が増えているぢゃないですか。ニュースとかでは「夜の接待の店」が悪者みたいに言われていますけど、昨日、久々にみえたメーカーの営業マンが「夜の店よりも地下鉄の方がヤバいらしいよ」と言ったのが印象に残りました。考えて見ればそうですよね。いくら距離が近いと言って接待の店だって換気に気を使うだろうし、どんな大きな店でもホステスさんやらスタッフは十人前後。一度に来店する客だって二十人は・・・いるのかな?昔行った記憶を遡っても、そんなすし詰め状態にはならないし(ライブハウスは大入りなら『肉の波』ですけど)
しかし地下鉄はヤバい。地下の線路の換気はそもそも悪いし、密閉状態の車内に通勤通学時なら押し合いへし合いの過密状態。東京なんて尚更それが酷い状況だし(地下鉄は複雑なので、関東の知り合いとでないと絶対乗りたくない)。でもそれを言い出すと麻痺るから言わないのでしょうね。
日常的に地下鉄に乗る事がない人間なので、言われるまで思いつかなかったなぁ。引きこもり人間には、あんまり気がつかないところですな。