pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

時間が取れた

 別に忙しいとか、そういう基準で言うとそうでもないけれど、請け負うと手間のかかる仕事と言うものがありましてね。ズボンのすそ直しの為に、纏ってある部分をほどく作業なんですけれども、あ、纏ってあったらほどくのは楽なんだ。支えになっている糸を一本断ち切ってやれば、あとはスルスル~と抜けてくれるので。これは表側から糸が見えないように縫ってある奴ですね。

 面倒くさいのは、そして今回ほどいたのは糸が表から見える縫い方。まぁ縫う方からすると楽なんですが、ほどくには全ての糸切ってやらねばならず、必然的に手間がかかる。主に糸の切りくず掃除が。

 それがお昼を挟んで午前午後と続き、一件配達に行って、ようやく時間が取れたという訳ですねー。忙しい=儲かっているというイメージからすると、別にそんな事はないという奴で。

 んで読み終わったもの。

 

 先日読んだ『三好一族』とは異なった将軍してからの同時代著述でして、こちらは足利義輝の視点から語られています。若くして将軍になり、しかし後見役の父親は早くになくなり、その父親が細川晴元を支持したが為に、晴元(厳密にいうと晴元が支持した三好政長)と対立した三好長慶の軍事力の脅威を逃れる為に京から離れざるを得なかった人です。

 室町将軍は、複数の大名勢力に推戴、協力されてこそ安定して成り立つものですが、応仁の乱よりこっち在京大名は激減。もっとも強力な畿内近辺の大名、細川京兆家は長らく紛争状態で、誰が主導権を握って勝利しても、その対抗勢力が何時の間にやら盛り返し、またやりあうという事の繰り返し。義輝の父である前任将軍義晴は中立を志向しますが、支持した細川晴元がどうにも各地領主から支持されない男で(特に摂津、河内、和泉では不人気)、その不満を取りまとめる事の出来た三好長慶に軍事力で圧倒されてしまうという。

 足利将軍からすれば三好家は細川京兆家の家臣、つまり陪臣に過ぎず、それが主家のみならず自分さえも圧倒する軍事力を持つ事にわだかまっていた頃は、問題解決ができませんでした。力のない奴を頼っても仕方あるまい、と、反三好同盟を画策しながら三好家を幕府に取り込む動きを見せると、三好家も軟化し、細川晴元を追放する事で和睦が成立するという。

 この本を読んでいると三好家は畿内で支持勢力を増やし、その為に裁判も期待されるようになるのですが、自分から望んで京都支配を行う姿勢は、あんまり、積極的に見せません。京を離れた足利義輝から離れた将軍直臣に、慣れているだろうからっと任せている様子。後年の、足利義昭を追放し、その息子を擁立する事を諦めた織田信長が、幕府旧臣ではなく自分の腹心である村井貞勝を「天下所司代」に任命して京都支配に乗り出したのとは空気が違うし、足利将軍に代わって三好家が天下人たらんとした、というのも慎重に考えるべきかも知れません。

 永禄の政変も御所巻きで足利義輝側近とその娘である将軍愛妾の排斥を訴えたけれども、それをソフトランディングさせる能力がある義輝側近が寿命で亡くなっており、主張と主張のぶつかり合いが結果的に将軍殺害に発展したのではないかと説いています。

 最初から足利義輝を殺すつもりなら、本能寺の変のように早朝、もしくは深夜に奇襲するのでは?という著者のご意見は、そうかもねー、と思ったりしたり。

 まぁ足利義輝も癖のある将軍でしたが(あんまり朝廷の権威を帯びる事に執着しない)、それは今までとは異なったタイプの権力者である三好長慶と相対していた為かも知れません(主家を出し抜いて権力を握った陪臣はいたけど、四国東半分、畿内という旧細川家、旧畠山家の勢力圏をほぼほぼ接収した武将は初めて)。

 今後もこのあたりの研究は深化するのかな・・・