pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

意外に早く終わった

 月末締めの請求書起こしが意外に早く終わりました。八月以前に比べればいいけれど、九月もそんなに忙しくないって事ですな。締め日の関係で来月請求になるところもあったしナ。まぁいいか。

 見たのは先週土曜日の晩でしたが、本を優先させたのでこのタイミングになりました。

 

この世界の(さらにいくつもの)片隅に

この世界の(さらにいくつもの)片隅に

  • 発売日: 2020/08/05
  • メディア: Prime Video
 

  2016年版ではリンさんのエピソードが大きく削られていたので、つまり、すずさんと旦那さん(名前覚えていない)の夫婦喧嘩の理由がいまいち弱かった気がしたので、自分的にはこの2019年版が完全版って気持ちです。それに幼いころに親戚の家で遭遇した『座敷童』の正体が判明したし(原作読んでいても、それには思い至らず、改めて原作を読み返して、ああ、そういう解釈もアリだな、と)、戦前の状況とか、当事者はそれでも生きていくのだから、適応して達観しているとか、何が不幸なのかは結局自分で決めるだけなんだなぁ、とか、相変わらず飲酒しながら見ていましたからねぇ。

 あと、今更ながら原作みて思い出しましたが義理のお父さんはエンジニアだったんですね・・・退職金がスコップ一個・・・ぐぬぬぬ・・・そういえば日曜日の読書会に映画『大誘拐』のDVDを持って行ったのですが(見ていない)、あの『大誘拐』もねぇ、「国っちゅうて、あたしにとって国ってなんぢゃったんぢゃろ。息子二人に娘二人を奪われて、その上、お山まで」みたいなセリフがありましてね。何だかなーって。

 前にも戦後米軍に占領されていた時期のお役人がね、米軍の理不尽な命令に反論は許されず、ただただ仕事するだけで、戦争に負けるとはこういう事なんだと改めて実感して悔しい思いをしているエピソードとか読んだ事あるのですがね。戦争ってさぁ、そういう風に否応なしに暴力の塊で人々を蹂躙していく事なんだよなぁ。だから戦争という事態にだけは自ら選択してはいけないんだなぁ、と思うのですよ。戦争になったら公的機関や、その公的機関すら圧倒する暴力装置が、一般人に理不尽な事をここぞとばかりに押し付けられますもん。

 そしてそういう理不尽を受け入れなければ一般人は暮らしていけなくなるっていうのもね。

 自分は『この世界の片隅に』を反戦作品だと考えた事はなく、戦争中という非日常が日常になってしまった人々が、それでも平穏を得ようと暮らしていた物語であると感じています。戦争反対を唱えるのは簡単です。叫べばいいだけだもの。だけれども反対しているからといって相手がある事ですから、それで通る訳ではない。妥協や威嚇や脅しや融和、そういう正反対の事もひっくるめて相手とはあくまでも話し合いでトラブルを解決するという姿勢を維持し続ける事だけが、戦争を回避する唯一の方法ではないかと感じるぐらいです。

 前も書いたかも知れないけれども、すずさんの周辺に比べれば、うちの父方、母方の人々は恵まれていた方なんだなぁ、と思いました。父方の祖母の兄弟がお一人、特攻で亡くなっていたかな?あと工場で亡くなった人も一人いただろうか?もう父方の祖母のご兄弟とも縁遠くなりましたからねぇ。

 そういえば、こういう事を風化させないように語り部を育てるとかいう話を前に聞いた事があるけれど、ナンセンスですね。経験者をインタビューして彼らの経験をアーカイブにするべきです。それを読めば体験談が理解できるし、当事者よりもプロに語ってもらった方が解り易い。なんで語り部を育成なんて、変な事を考えるのかね?