pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

ミス

 は良くやります。昨日もやったので今日の納品ができません。月曜日の午前中にかけます。月曜日は午後から医者に行くし。イボはしつこいですね~。

 読み終えたものはなく、見たのは・・・録画しといた『麒麟がくる』ですか。やっぱり駒は義昭といい仲になっています。義尋の母親になるんぢゃね?作中の永禄年間って信長は参内していなかったと思うけど、これはアレですか。義昭と決別した後、信長が朝廷を擁するという伏線ですかね?戦略的に、三好三人衆と敵対したままで若狭、越前に出兵するっていうのだから幕府の奉公衆が防衛上京を離れられないっていうのはアリなんですが、それを感情論で拒絶させるっていうのが『大河ドラマ』の手法なんですかね?今週末(日曜日)は金ヶ崎ですね。どういう理屈で浅井長政は裏切るのかな?

 さて、実は見たけど書いていないっていう映画がありましてね。『天気の子』です。これ、確かに新海誠監督カラーが『君の名は。』よりも色濃く出ているような気がしないでもないです。見終わった後の、なんかもやもや感があったので日記に書きませんでした。ネタがないから今書いていますが(あ

 たぶんもやもやの原因は『万人が不幸になっても彼女をとる』って言う理屈が、感情で理解しても、劇場公開作品としてこのオチはいいのかな?っていう疑問があったからなんですよね。確かに一人の犠牲で世界が助かるならば・・・という展開が一般的であり、悲しいけれども犠牲となる人の矜持みたいなもの故に実行されるパターンが多いのですが、この話は徹底的な弱者であり、社会的にも経済的にも恵まれない、というか虐げられている、子供がサクリファイスになる訳で、きっとつまらない理由で家出した主人公男の子はそれが許せなかったし許すべきでもないし。社会が助けてくれるかと言えば、助けられる子供には到底受け入れられない形でしか救いの手は差し伸べられない。

 まぁお話は世界(言ってしまえば『東京』という町)を犠牲にする事で、そして子供たちも現在の社会が差し伸べられる範囲での保護を受けて、それぞれが『日常』に戻る訳ですが、それはささやかな抵抗だったかな?とも思えます。だって結局『東京』は機能の一部や住んでいる人々に住みにくさを与えながらも存続していますしね。そういうのは冷たいかな?それまでの生活を放棄した人もいただろうしね。

 一人を犠牲にするよりも、皆の快適性を損なう事を選んだ、という物語で、これから未来の地球環境において、自分たちはそういう選択を甘受すべきなのかな、とも思いました。

 考察すると、いい映画と思えてきたな(あれ?