pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

慌てて読み終える

 ちょっと今日は早めに(12:30ぐらいに)配達に出かけたいので、様々な事を前倒しにしています。日記を書くのはそうでもありません(オイ

 でも少し慌て気味で読み終えました。なかなかいい本です。

 

中世の村のかたちと暮らし (角川選書)

中世の村のかたちと暮らし (角川選書)

 

  10年前の発刊ですが、たぶんあんまり大きな変動はないかもしれません。中世から近世に入る江戸時代初期に至るまでの、村落の在り方などを述べたもので、良く日本人は米信仰みたいに言われるのですが、それの複合的な原点みたいなものが解ります。

 まず米が麦に比べると一粒あたりの生産量がけた違いに多い事。その分、労力も個人レベルでは確保が難しく、大規模な土木工事、水利などなど権力体の勧農姿勢によって米作の作量は異なってくること。

 徴税の基本は米にかかっており、畠作の別の作物に対しても課税するようになったのは戦国期を経て、いわゆる太閤検地以後であること。兵農未分離であり村落は自力救済、つまり自衛力を持つ存在であったのが、太閤検地を経て大名家臣団に加わるか、帰農するかの選択を迫られ、江戸時代に至る兵農(とうか士農かな)分離が進んだこと。

 肉食を穢れとする思想が広まったのは中世なのですが、それは米作の発展と歩調を合わせているかのようで、米作が豊かな村落ほど肉食を蔑視し、米作が十分ではなく、食料を漁撈や狩猟、採取で補わなければならない村では、それが継続していること。

 ちなみに浄土真宗の『悪人救済』は犯罪者も救われるではなく、仏教の教えて背いて肉食をしなければ生きていけない人々も救われる、という意味だそうです。なので初期の浄土真宗は米作が豊かではない地域で広まっているという(逆に言えばそういう他の仏教が布教しないところを狙ったという事かな?)

 あと、江戸時代の識字率が他の国、ヨーロッパ諸国と比べても極めて高いと言われているのですが、その一因として太閤検地を経て江戸時代の幕藩体制期に文書を利用しての、きわめて精緻な統治法が確立した為で、つまり村の上層部は字を知らないと話にならないし、社会的上昇を望むならば識字は基本であるとの認識が高かったことがあるのではないかと思います。まぁ支配者が効率よく収税するシステムに、積極的に参加する事が社会的地位上昇につながるわけなのですが(他の本でも読んだけど、江戸時代の年貢収奪システムは精緻を極めていて、その為のしわ寄せが徹底的に弱者に押し付けられているのですよ。巧妙な事に浪波節的に処理されて、人身売買せざる得ない世帯主にも、当の本人にも納得させるという・・・確実に年貢を取り立てるという、それだけの為なんですけれども)

 こういう農民への課税で成り立っている幕藩体制ですが、明治期と比べてその収奪率って、どうなんでしょうね?そのあたりの負担は増えたような(徴兵制によりより過酷になったとも言えるのか?)、どうなんでしょうね・・・