pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

以前にも読んだ本

 中国や朝鮮半島の歴史で、庶民生活を研究したものって、あんまり見かけないので、何度も読みたくなるのかも知れません。

 

庶民たちの朝鮮王朝 (角川選書)

庶民たちの朝鮮王朝 (角川選書)

 

  以前読んだ時は、当時の朝鮮半島にすむ人々が、他の国、特に日本に比べて二倍の米を食べていたという事を日記に書いたような気がします。米に栄養補給を頼っていたという。一事が万事ぢゃないけれど、朝鮮半島の人々って何かをやりすぎる傾向があるのかも?とか思ったりもします。

 今回気づいたのは、貨幣流通が十八世紀まで盛んでなかったということ。貨幣鋳造自体は古代から行われていましたが、現物交換が盛んで貨幣流通は振るわなかったそうです。日本はだいたい平安中期ぐらいから都を中心に少額取引で銅銭が使われ始め、鎌倉時代以降は全国的に普及したというイメージがあります。素人の感想ですが。

 読んでいると、どうも朝鮮半島の場合、首都近郊と他の地域が物流で結ばれている印象がないのです。地域的な広さはさほどでもないけれども、王朝交代期には群雄が割拠し統一に十年ほどかかったりもしているところから、地域ごとの自給自足率が高いのかも知れません。海運もそれほど発達していないのかな?貢納は都に集積されていると思うのですけれども、それほどの頻度ではないって事ですかね?

 日本の場合は海運を使用しての物流があったので、朝鮮半島に比べると貨幣を使用する利便性を感じやすかったのかも知れません。特に室町期からは守護在京が基本で守護に仕える武士たちは生活費を国元から調達していました。規模は劣るけど参勤交代で常に諸大名の家来が単身赴任していた江戸時代の江戸と似たような状況なので、当時は京に、少なくとも西は北九州、中国、四国、東は遠江(駿河もかな)、美濃、越後までの物資は流れ込んできたと思います。

 結局朝鮮半島で銅銭の流通が普及したのは十八世紀に入ってからで、その頃になるとさすがに貨幣がないと流通が不便になったからでしょうね。

 あとは排泄関係。首都漢城は川を下水替わりにしていて、それに頼り切っていたそうです。そういえば江戸は汲み取りで農家が買い取りに来ていた話に良く接するのですけれども、漢城でも汲み取り買い取りがあったそうですが、それでも川の浚渫を行わないとまずいほど垂れ流していたみたいで、二、三十万都市だった漢城でさえそれなんだから、公称百万都市の江戸ならもっと酷い事になりそうなもんですが、今のところ、川を浚ったという話を聞いた事がありません。江戸は漢城ほど密集していなかったという事なのかな?

 まぁそんな事を考えながら、よーつべ見ていたらですね。こんなのを見てしまいましてね。


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 なんだろう。エンターテイメントの世界であれほど高度な技術的に会得しているのに、こと工業関係に関して、どうしてこんなに泥縄というか、濡れ手に粟みたいな事ばかりするのだろう。やっぱり即利益になる事以外はやりたがらないお国柄なんでしょうか?日本もそういう発想だと、あっという間に、こんな「どこからも対等に扱われない」境遇になっちまいますからね。節制とか節度って人として信頼される重要なファクターですよね。