pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

『悪党たちの』シリーズ

 そういえば『悪党たちの大英帝国』って本を読んだこと、あったなぁ、と。あとがきで著者の方は、その第二弾なのかな、とか書いていらしたかな。

 

 『中華帝国』の定義から、多民族が衆合するようになった時代から始まっています。つまり前代の南北朝以前の中国史は入っていません。皇室が明らかに北方民族出身で、中国本土を統一した隋からが『中華帝国』とカウントしているみたい。まぁそれ以前は漢民族(便宜上の学術用語)は自分たち以外の異民族とは住むところ、風俗が違うって排斥していましたから、そもそも漢民族ぢゃない支配層が「そんなの関係ねぇ」って統合するまでは、多民族が統合支配されている『帝国』ではなかったよねー、という理解。

 んで、悪党って言われてあげられている人物伝ですが、そうかな?って思う事もあり、まぁ悪党と呼ばわりされるのも視点の差なんだろうなぁ、と。

 今回目から鱗だったのは明朝を創設した朱元璋の事でして、王朝成立直後の功臣大虐殺の説明が個人的な性向とかの説明しか知らなかったのですが、どうも自分が志向する支配システム構築の為にやらかしたのが主因らしいです。

 前代の元朝ユーラシア大陸を支配したモンゴル帝国の中国本社みたいなもので、皆大好きロマンの塊、シルクロードを支配し陸路による流通、商業を推進した帝国でした。ところが気候変動と疫病の流行により、この流通経路は寸断され、商業活動を活性化させる為に発行されていた紙幣は経済的裏付けという信頼を失い価値を失い、元末の経済は大混乱。その混乱の中で貧農と言える階層から出た朱元璋としては貨幣よりも現物が全てになります。なので納税は現物主義。政府を生産者と直結させようとします。その際、邪魔になるのが地主層。つまり生産者と政府の間に存在する上層階級で、朱元璋にとっては打倒すべきライバル群雄を支えた連中でもあった。

 そして自分の一緒に明朝を起こしたら功臣たちも、そのグループに入っており、その連中を排除するのが大虐殺であったと。んで自分の息子を介して支配するというのは知っていましたが、南京から首都を西安に移す為、皇太子たる長男をそちらに移動させていたというのは初めて知りました。まぁ南京は経済の中心である江南に近く、それだけで経済的に完結してしまう。中華全土の回復を政権目標に掲げていたので南宋のように小さくまとまる訳にはいかない(宋代はミニマムな統治領域であり大変経済的で、経済的には歴代王朝最強でありました)。なのでゆくゆくは政権を華北に移動させるつもりだったようです。ところが皇太子が夭折してしまったのでその計画は挫折。あとを継ぐのが孫になってしまいましたが、こちらは朱元璋が亡くなって頃でもまだ十代。南京政権の士大夫、つまり地主階級に囲まれて育ち、取り込まれていきます。なので彼を打倒し、政権を簒奪し北京に都を移した永楽帝は父朱元璋の政策を変更したのではなく、元に戻したと言えるという・・・なるほどねぇ。

 ここ十年余りは日本史ばかり追っかけていたので、こうやって外国史の更新された情報に接するのは新鮮で楽しいですねぇ。