酒がないとそんな食べれない人なのですが(出されたものは全部食べる教の人なので、出されたものは食べるけれど、実は勘弁してくれという気持ちもある)、酒があると食べられてしまうので、昨夜はケンタッキーのフライドチキンを四ピースも食べてしまいました。自分にとっては大量のフライドチキンです。セットを購入したのでサイドメニューのポテトと野菜も食べ、更に自分でこさえた、レシピとしては二人分のほうれん草カレー(ロングマカロニはさすがに一人分)を白葡萄酒一本とともにいただきました。あ、ほうれん草スープもあったナ。食べ過ぎだよ、マジで。
あと、二日酔いにいいからってカレーにターメリックを加えましたが、ほうれん草カレーの緑と色彩的には合わない・・・前回はターメリック入れなかったから、濃厚な深緑になって自分が求めていたほうれん草カレーの色になりましたが、今回は微妙でした。うーむ。
ま、被害者は自分だけなのでいいけど。
それを食べながら見ていた映画がコレ。
イタリア映画です。場面は徹底してあるカフェ(酒も食事もアリマス)の片隅。分厚いノートと万年筆を持ち、沈痛な面持ちの男が、入れ替わり立ち代わり訪れる人々の願い事に、犯罪的な試練を課し、それをこなせば願いが叶うといいます。無理強いしないし、特に報酬がある訳でもない。一見無関係に見える人々の運命が、男の無作為(と本人は言っている。ノートに書いてある事に従っている、と)の指示で交差し、影響しあいます。
不条理サスペンスといううたい文句でしたが、善悪から超越し、時に犯罪的な試練を課しながら、それを達成すると何故かその人の願いが叶う、という男の能力の由来は最後まで明かされないし、男の疲れた顔はほとんど変わりません。ついでにカフェの指定席から立ち上がる事さえないという徹底ぶりで、どこから聞きつけるのか、依頼人は引きも切らず男を訪れてきます。依頼しないのは、四十代前後の、人生の酸いも甘いもある程度かみ分けたように見えるカフェの美人女性店員だけで、彼女だけが男そのものに興味を持ち、仕事が終わり後片付けをする時間帯になって男に話しかけます。
でもその事で男は救われる訳でもなく、女に好意は持っているだろうけれども、女が望むような関係にする気はなさそうに見える。
ヨーロッパの映画って一筋縄でいかなくて、見終わった後に「え?」とか思うのですが、なんか昨夜はそれが心地よかったですね。
その後に、ちょろりと見たNHK-BSのごみ収集業者の方のドキュメントなんかも、なんかこう、感じるものがありました。こういうドキュメントって好きなんですが、こういう作風はNHKしかつくらないよなぁとか思いながら。
人生って解らないし、心無い人って基本的に想像力や経験が不足しているから、そういう行為ができるのだよなぁ、と思ったり。そして取材対象の業者の方はティーンエイジの頃は悪で、先の事は考えないで、ごみ収集車を見て「臭い、汚い」と罵る側で、その会社に就職したのも収入に釣られて、みたいで、結婚されているけれど、奥さんは関係者全員に反対されたって。でも、子供が生まれたら、この子の為にがんばろうって思うようになって、仕事に愛着という訳ではないけれども、社会になくてはならない仕事であるし、子供は父親の背中を見て育つのだから、恰好悪い事はできないって、身を入れて働いてみえるし、コロナクラスターが起きた病院のゴミも、部下も家族がいるから任せられないって、あーたにも家族あるぢゃんって取材班に突っ込まれていたなぁ。
最後まで見なかったけれども、人生って解らないものですよねー。