pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

張り子の国家

 土曜日はボドゲをして、日曜日は読書とゲームと転寝をしていました。お気楽だね。そして日曜日に読み終えた本がコレです。

 

  先日この著者の方の本を読んだ時、他の研究者への攻撃とか、恨みつらみがパラパラとみられて(個人的な印象です)、研究姿勢は真摯なのに、この読むのに苦労する本はなんぢゃと思ったものですが、今回の本はご専門でない事もあって、そういう攻撃的な面がなりを潜めていまして読みやすかったです。ま、内容がアレと言えばアレなのですが。

 しかしぼんやり感じていた事の答えを教えてもらったような気分です。古代日本の律令国家は額面通りならば、膨大な官僚を必要とする筈なのに、漢籍に、つまり漢文を自在に操り、教養をある程度持つ人材が、学校機関も存在せず、それらを学習する伝統すら根付いていない時代に、富国強兵の手段として制度だけ導入したところで身につくはずがない。それも支配人口が日本(というよりも畿内以西ではないかと疑っている)の十倍いるだろう中国王朝の制度をそのまま移植したところで、不要な部分が発生するのは目に見えています。スカスカなんですよね。

 だから中国王朝の首都を形だけ真似た平城京とか平安京がスカスカになるのは当たり前で、外交的な虚勢を保つためだけの外見を、維持する必要もなくなったら、そりゃあまぁ住む人の利便性を優先する形に変形していくのは当たり前ですよね。計画都市の脆弱性という奴。

 現代でも京都という都市には、なんかそんなところを感じる時があります。計画都市の脆弱性はなくなっても、虚飾性というものが付きまとっている気がします。人が集まっているから物価が高いという論法は、大阪府京都府ではスーパーの販売価格が異なる、大阪府の方が安いという話を聞くと、無関係ではないかと思えます。他にも京都というブランドが付与される事によって商品価格が高くなるという事も。うちの隣の方が京都の業者に売った商品を、ご自分のお得意さん(東海地方)が「ええもん買った」と自慢した時には、なんといって解らなかった、とか言う話も聞きます。

 盆地故に夏は暑く、冬は寒いという気候もありますし、河川の氾濫という面でも決して住みやすい環境とは言えないと思うのですが、古くからの首都というても江戸幕府に開かれてからは首都機能も喪失している筈です。

 地方に出た貴族は都への郷愁を再生産するように義務付けられているのではないか?という疑問もありましたね。

 平安京、京都が存続し存在している意味という考える上で、興味深い内容でした。