pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

清酒の作り方

 とか題名につけましたけれども、読んだのは日本酒の作り方とか、そういう本ぢゃないです。

 

 室町幕府って最初は鎌倉幕府の体制を参考にして始まったのですけれども、観応の擾乱あたりから武士を直接統括する事ができなくなり、戦乱を勝ち抜く為に守護に兵糧確保の為の徴税権(半分だけど)与えたりしたところから鎌倉幕府のような体制(鎌倉時代の守護は軍事指揮権と警察権のみ)は維持できなくなり、幕府の財源も都市京都からの徴税に頼らざるを得なくなります。日明貿易も義満の頃は巨額でしたが、アレは中国王朝の『見栄』のなせる業なので、中国王朝の懐具合が寂しくなれば、当然旨味も減りますから。

 んで都市からの徴税って結局富裕な商人って事になり、当時の富裕な商人って高利貸しと相場は決まっていて、んでその元手はどうやって得ていたのかというと、神様への供え物って事で油とか、様々なものを独占的に商う権利からきていて、その中に酒があり、まぁ高利貸しの『土倉』は酒屋も兼ねていた事が多かった、という。

 あと公家や上級武士たちはこの頃よく泥酔、嘔吐するまで宴会で酒を飲み続けていたらしく、それが呼び水ぢゃないでしょうが、この頃高級酒として清酒の基本的な製法が確立したらしく、それもあって酒屋は繁盛したと。はい。タイトルに返りました。

 そういえば鎌倉時代や江戸時代は米価コントロールの観点から酒製造禁止令とか出ていたのですが、室町時代は大飢饉が起こっても、お救い小屋みたいなものは設置しても酒製造禁止令は資料が残っている限り出ていないそうです。まぁ高利貸しと造り酒屋から主な財源をもらっているんだから、それの首を絞めるような法令は出さないわなぁ。

 鎌倉幕府江戸幕府は領地経営者の側面も大きいのですが、室町幕府は都市京都への財政依存が大きく、その政治も京都に集住した守護やその配下たちに対して、公家化した将軍の姿を儀礼を主催する事で見せつける、奉納芝居の側面が強いように思えます。そんな虚飾にまみれて実態のない・・・って考えてしまうけれども、最小限の財源で最大限の政治効果を狙うとしたら、軍事力なんて危険で金のかかるものを維持するよりも、よっぽど効果的と言えます。

 ただし奉納芝居を見てくれる人がいるならば、ですが。

 応仁の乱は守護とその配下を京都から去らせ、荒廃した消費都市はその重要度が低下。足利将軍が他の武家とは異なる『雲の上の存在』という演出を誰も見なくなってしまったら、ただでさえ収入が減っているのに、見せたい人が見ない煌びやかな儀礼をやる意味はない、と。

 戦国期の天皇即位式はともかく大嘗会や譲位をして上皇になり『治天の君』になる事ができなくなったのも、まぁそういう事の延長線上にある訳で・・・

 そういえば応仁の乱のせいで京都から失われたものが、もう一つ。京都地場の酒。失われたというよりも勢いが失われたって感じ。戦乱後、守護配下の武家以外の人々が京都に戻っても造り酒屋の施設は一朝一夕では復旧しない。その隙間を埋めるように摂津国とかの酒が流入してきたそうで、『灘の酒』のご先祖あたりですかねぇ。