pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

おや

 昨日のTwitterで件の方が罵倒されていましたね。これが本音か。ネットって心をさらけ出すなぁ。んで、自分こんな事書いたっけな?と思ったら、ああ、こちらは会話や雑談の事のつもりで書いたけど、段を改める事しかしていないから、そうとったのか。なるほど、と。

 Twitterの先方の記述、先方の立場からしたらその通りで、過去にも何度も言われたけれど、結局自分は改まりませんでしたから、先方の顔色を伺いながらセッションするのも何だかな話だし、同卓しないのがお互いの為ですわな。

 なんか色々書こうかとも思って昨日の午後から夜、いや今朝までなんか考えていたけれど、まぁ何を書いても状況は終わったしな、とも思ったので、まぁいいか、と。先方にしてみれば昨日の日記で絶縁みたいなもんだし。

 この件は以上で。

 んで読み終わった本。

 

  一般的には出家名の『宗麟』で知られ渡っている人ですが、著者としては『義鎮』名乗りがその生涯で最も長いという事でこのタイトルに。

 この方、キリシタン戦国大名として有名なんですが、著者は敢えてそれを外して豊後の硫黄産出とそれを利用した海外貿易。それらを論証するような考古学調査結果を記述してみえて、戦国大名の評伝にありがちな、戦争とか政治勢力としての動向は最低限の流れを抑える感じで、一番割いているのは大内義隆が滅亡した後の五年間当主となった、あまり取り上げられていない義鎮の弟、大内義長についてですかね。まぁ彼が大内家家督を継いだ事により、室町幕府から大内家が独占委任を受けていた対明勘合貿易を大内、大友共同事業として行おうとしたのですが、勘合貿易の決まり事を大内義隆とその側近を滅ぼしてしまった時点で把握している者がいなくなってしまい、結局明との貿易は失敗。ならばと、東南アジア方向と貿易を営んでいたようで、彼の本拠地築城も海上貿易により対応する為のもので通説のように逃げの一手ではなかったようです。

 自分としては竜造寺氏や島津氏とのやりとりがもっと描かれて欲しかったのですけれども、そのいうものは二次資料がメインなのでしょうか?あまりこの評伝では取り上げられていませんでした。そういう意味では毛色の変わった戦国大名の評伝かも知れません。大友氏が結局秀吉に改易されたのも、豊臣政権による海外貿易を独占する事も原因の一つというのは、この本の記述からするといきつく結論かな。