早朝、うちのアパートに住んでいる生活保護を受けている高齢者の方が、ツライ、ダルい、救急車を呼んでくれ、とおっしゃるのでお呼びしましたが、耳が遠い方だし意思疎通ができないって救急隊員の方がおっしゃって、バイタルは正常値だし、どうしたものかと小一時間ほどやり取りがありました。行政の生活保護課の方が一番情報を持って見えるけど、役所の窓口が開くのは八時四十五分からだそうで、そこでやりとりが完結すればいいですけれど、そうでなかったから搬送された病院に迎えに行くのは大家のあっしらしいです。
まぁ仕方ないか。こういう場面に遭遇すると意思疎通能力は最低限保持していないと緊急時に何ともならんのだなぁ、と。身内もおらんと最低限の身体情報を医療関係者が得られる状態にはしておかんと処置もできんのだなぁ。名前と生年月日、血液型、病歴を閲覧できるようにしておくことって重要だよねー・・・マイナンバー、そこまでフォローできるのかしらん?
んで、この話とはまったく関係ありませんが読み終えたもの。
戦国前期の西日本において、関門海峡を挟んで北九州と西中国地方を勢力圏とした大内家の存在がいかに巨大であったか、そしてその大内家にとって中央政局よりも東アジア交易が重要な関心になっていくという。その東アジア交易は倭寇の猖獗と石見銀山、但馬銀山発見による日本の『シルバーラッシュ』によって、それまでの枠組みが崩壊し混乱、結果として大内家内外で大内義隆の政策に不満が持たれ、尼子家の勃興を許し、陶晴賢を始めとする重臣たちの反感を買い、ついにはクーデターによる破局を迎える、と。ただし義隆時代の政局を主導したのが交易推進派で、彼らもクーデターによって葬ってしまった為、陶晴賢を中心とした後継政権は東アジア交易のノウハウを継承できず、また不満に思った尼子家を始めとする東国境への対処も毛利家の不満と批判を抱える事になり、結局毛利家を始めとする安芸、備後の勢力によって大内家は打倒滅亡に至る、というのが全体の流れ。
大内家の動向から説明されると、色々と氷解していく事柄が多く、南九州の島津家の紛争させも東アジア交易の利権が絡んでおり、琉球王国の繁栄と衰退さえも絡んでいると。対馬の宗氏がこの時期から記録に頻出するのも大内家と結んで朝鮮王朝との交易を正式に行い始めたからで(かなり如何わしい手段で、朝鮮側が渋々という感じで、日本銀の流入による混乱を嫌がっているけど、結局貿易欲求に逆らえず許可したって感じ)
こうやって見ると十六世紀東アジアの混乱って中国周辺海民の密貿易、それを促進させる日本銀の産出が大きくて、ポルドカルとか新たなプレイヤーの参入って、文化的なものはともかく、そこまで大きなインパクトではないんだなぁ、と。当たり前か。地球の反対側からやってくる物量なんて、この時代ならたかが知れているもんな。
そういえば日本戦国期の火縄銃大量生産、大量使用も、火薬の原料である、日本では産出しない天然硝石の輸入可能というのが大きな鍵になっていて、それがなければこうまで普及はしなかったでしょうし、やっぱり交易が大きな作用をもたらしたのでしょうねぇ。