pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

読了したもの

 漫画ばかりにしてやろうと思いましたが、歴史関係の方を先にしようと考えなおしました。

 

 一冊で六十人もの武将の列伝が載っているというのは、このシリーズ最大のボリュームですね。自分の関心は大友と龍造寺関係。島津は編集者の方の著作を読んだのでだいたい把握できているのですが、九州戦国期の三雄のうち、他の二者はあんまり詳しくない。大友宗麟の評伝は読んだ事がありますが、海外交易からの視点によるもので、九州北部に覇を唱えるも、なーんかいつも国衆から反旗にを翻されているよな、この人。なんでだろ?という疑問には答えてくれていないような気がしたので。龍造寺は一次資料が少なく軍記物が多いので、はっきりしないイメージがあるし。

 んで、読んでわかった事は、大友氏は一族内部の争いが多いということ。急激に勢力を拡大する際、圧倒的な軍事力が必要ですけれども、これを確保するのに金、それがなければ国衆に息子、一族を後継ぎとして送り込み、実家の政治活動と同調させると兵力の収集が容易となり、拡大した勢力が安定するなぁ、と。毛利氏の場合、息子を送り込んだ吉川、小早川はもちろん娘を嫁がせた宍戸、そして親類衆を取りまとめ、周辺国衆とも同盟を組み、その利害を自家に同調させる事に成功させたが故に、勢力を拡大し、大友に比べると安定しているように見えるのです。

 ところが大友氏はまず兄弟が少ない。そして養子にやった先で実家に相反する行動をとり戦う事例があったと(肥後菊池氏を取り込もうとしてミイラ取りがミイラになってしまい、結局没落させてしまったし、大内氏を取り込もうとしたら毛利氏に滅ぼされた)、大友氏の利害よりも自家の利害を優先させれば、反乱になります。大友氏はどうもそういうビジョンが描けなかったのですかね。大内氏なきあと九州最大の名家になったけれど、頼られるけれど、それに翻弄されてしまった、という感じ。

 逆に龍造寺は一族を効果的に周辺国衆に送り込み、取り込んでいったようで、沖畷の合戦で当主隆信が敗死した後、後継者の政家でまとまってもおかしくなったところ、豊臣政権の政策で鍋島直茂を優遇、家中の主導権を取られてしまい主従逆転になったイメージ。もっとも政家自身の行動にも(肥後の一揆鎮圧に出陣せず、政権に非協力的とみられても仕方なかったかも)問題はあったようなのですが。

 お、もう一つ歴史系を感想を書こうと思いましたが、千文字超えましたね。では明日に回します。