pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

気温の問題ぢゃない?

 湿気かな。はい。昨夜も寝つきが悪かったです。再び除湿にしてみるか。それとも気温を下げてから除湿にするか・・・

 昨日は密林に騙されました。今年に入って二回目です。密林。便利だけど、ぼーっとしてポチッとナ、すると、ぎゃあああ!!って事になる。昨日のアタクシがそれ。次は気を付けよう。

 そして読み終わったもの。

 

  動画とかで明応の政変以降の歴史解説しているものを見たりしているせいか、気になったので購入してしまいました。最近の研究者の方の著書はハズレが少ないと踏んだので(何様?

 足利義晴は『剣豪将軍』義輝や室町最後の将軍義昭の父親で、戦国期の将軍として比較的平穏な方の生涯を送った・・・のか?というか考えてみれば歴代室町将軍って比較的平穏な生涯を送った人の方が少ないんだよな。最盛期の義満でさえ若年期は大名たちの政争に悩まされているし、彼らを抑え込む事に成功したのも結構晩年ではないかしらん。

 生母の身分が低かったらしい事。播磨国で養育された事。父親義澄が京から出奔した状態で亡くなってしまったので、彼の将来は安定したものではありませんでした。んが、父親を出奔させて将軍に返り咲いた義稙が細川京兆家の内紛で支持する方を間違えて(負け組を支持してしまった)京を出奔してしまい、とりあえず勝利した細川高国は自分の同盟者が養育していた義晴を将軍にして体裁を整える事になります。

 室町将軍は大名たちのバランスの上に立っているのですが、この時彼を支持した勢力は細川高国と六角定頼。彼らの傀儡?と思われそうですが、彼らは彼らで自分たちの領国だったり敵対勢力との対応に忙しく、将軍を立てるのは武家秩序の指針がないと自分たち自身も困るからで、将軍を否定しうる根拠も大義名分も実力も彼らにはまだなかった、という事になります。義晴やその側近たちもそれを理解していたし、将軍たるものは一体何をすべきかも理解していたので、朝廷を、つまりは京都の治安を維持し、地方の勢力の紛争を調停したり、その見返りの礼金を徴収したり、と戦国期の室町将軍の在り方を確立しました。

 しかし自らの軍事力が他を圧するものではなかった為に、自分を支持してくれる大名勢力が動揺すると、その支配も揺らぎます。問題は、政争をくりかえす細川家で、畿内勢力の細川高国と阿波勢力の細川澄元、晴元父子の争いは、高国側優位であった時は良かったのですが、この高国方が敗北すると途端に不安定に。悪い事に細川晴元方も内紛を抱えており、そして優位に立ったのが晴元が支持する側ではなかった事。まぁ三好長慶って言うんですけれども。将軍として室町時代の家格秩序を維持しようとすれば晴元の家臣である三好長慶の力が強くても、細川晴元を支持する事になる。その晴元は反三好勢力を結集しようとするけれども、勝てない。そんな押し問答の最中に義晴はこの世とグッバイしてしまいます。一応息子義輝に将軍位は譲っていますが、状況が変わる訳でもなく、後世や地方での令名麗しくても将軍の領地とも言える京都にほとんどいなかった為に「義輝?そんな将軍さんもいましたな」扱いになってしまうという・・・

 支持勢力が不安定である為に不安定である戦国期将軍の状態を考えると、織田信長に推戴された足利義昭は比較的安定していたかも知れないと思ったりしたり。どーなんだろ?