pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

涼しー

 朝晩が涼しくなりました。例年より若干早い気がします。今年は長雨も多かったし、一昔前なら冷夏と言われたのではないでしょうか?

 ん?一昔前って十年ぐらい前か。その頃は冷夏って死語っぽかったような気がする。もしかして冷夏と言う言葉が使われていたのって三十年ぐらい前の事だろうか?なんとなくそう思いましたまる

 まぁ長々と書きましたが読み終えた本はあります。

 

 誰やん?って思った人が多いと思います。自分もです。誰やん?って思ったから借りました。だいたいクリミア戦争が終わったあたりから二十世紀初頭までオスマンのスルタン・・・パディシャーが正式な称号らしいのですけれども・・・で、彼の後のスルタンは傀儡になってしまったので、最後の実権を持ったスルタンと言えるのでしょうか?

 すでにオスマン帝国は「瀕死の病人」の体で、ヨーロッパ諸国に押されまくりで、なんで存続しているかと言うと、そのヨーロッパ諸国各国の思惑で足を引っ張り合っているのに助けられているという面が大きいです。その隙にオスマン自身改革を行い、かつての栄光を取り戻そうとするのですが、国内の制度疲労(ぶっちゃけ賄賂とか横行している)や、改革への無理解、誤解(これが近代化改革を試みる人々にもあるというところが、なんとも・・・)故に試行錯誤、失敗の繰り返しです。

 アブドュルハミド二世はヨーロッパ的憲法に基づく議会制民主主義に懐疑的、というかスルタン主権を信じている人なので、無難なところで立憲君主制を志向しています。これは特に後進的でもなく、当時のドイツやオーストリアはそうだし、ロシアには憲法もない時代でしたし、日本も明治維新後、立憲君主制を目指しました。

 なんでオスマン・トルコって記述しないのか、というと、このオスマン政府の構成員がトルコ人の割合が少なくて、アルメニアとかアルバニアとか、ブルガリアとか、とにかく当時のオスマン帝国の支配領域全域の被支配民出身者が多く、しかもイスラムだけでなく東方キリスト教会の信者も少なからずいて、これはトルコと言うのがはばかられる国家だよな、と。

 今日から見ると多民族国家というのは一つの理想形なのかもと思う事もあるのですが、当時は単一民族国家を主張する声が強く、オスマン政府が公正さと強いリーダーシップが取れなくなると、また地域の多数派宗教が聖域を独占する、なんて法律ができてしまったら、その多数派宗教が他の少数派宗教を排斥し、これまた混乱、分離独立の方向へと向きます。

 アブドュルハミド自身は均衡、バランス派で彼が実権を握っている間は外国の圧力による独立以外はそんなに目立たなかったようなのですが、『民族自立』とか標榜する立憲民主派が、イスラム保守の一般兵卒の反乱失敗を契機にクーデターで実験を掌握すると、なーんかオスマン政府の瓦解が加速したようにも見えます。

 何をどうすればオスマン帝国が存続できたのか?もはや時代は一人の血統君主が責任を負う事が不可能なものになっていたのでしょう。第一次大戦はそういった立憲君主国の大国がことごとく消滅していった戦争でもあったのですから。小国ではまだしばらく存続するけれど、時間の問題とも言う。日本?自分と周囲が大国と誤解していた中小国なんぢゃないかと最近のアタクシは疑っていますけれども。それに日本の天皇は制度が形だけなのにご本人は議会制を尊重していましたしね。民主的かと言われると、時と場合による。大日本帝国憲法が議会制民主主義の憲法ではないので、状況が議会制民主主義に近くなるという程度なんですよねー。その意味でもやっぱり大日本帝国憲法って未熟な作品なのかも。