pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

そんなもんかな

 日曜日に、知人がやっていらっしゃる喫茶店で読書会・・・読書討論会がありましてね。自分からは手を伸ばさない本がお題に出るので、その本が文庫版なら参加しよかいな、と出かけまして、今回は・・・まぁ好意的な意見が出ない事、出ない事!!自分が参加した中で、こんなに不評というのも珍しいかも知れない。自分的には歴史ものに突っ込みを入れたくなるのですが、まぁまて、これは作者のファンタジー世界だ。言うのも野暮だ、と思いとどまろうとしたのですが・・・語る事がない。ので、必然的に実際の歴史は知る限りはこうですよー、という事になると。

 んで語っているうちに・・・著者の書きたかったものに、まったく同意というか、同情というか、感情移入できない自分を再発見しましてね。・・・もともと好きではない作家さんでしたが、嫌いとは言わないものの、やっぱり自分からは手を伸ばして読まないよなーって。そして他の参加者の方も大同小異な意見が・・・

 なんでしょうね。若いころはとんがっていたけど、年を取り、社会的立場を得たら手のひら返して迎合するような発言になる、というのは良くありまして、よく言えば丸くなったって事なんですけれども、自らが属する価値観や共同体には丸くなって、それ以外にはとんがっている印象がありましてね・・・そんなもんかなぁ、人って。とか思ったりしたり。

 それとは別で、自分から手を出して読んだものがこちら~。

 

 細川ガラシャで知られている人ですが、あえてガラシャという題名にしているのは、彼女と夫、細川忠興として知られる戦国武将が夫婦であった時期は『細川』を名乗っておらず『長岡』という姓名を名乗っていたので、でも今更『長岡ガラシャ』というのもアレなので『ガラシャ』になったようです。

 彼女の人生は前半と後半で様相が変わります。前半は父明智光秀織田家出世頭であった事もあり、私的にも公的にも満たされた状況でしたが、父が本能寺の変を起こした末に殺されると一変して『謀反人の娘』となり逼塞した生活を送る事になります。本人は事後の父からの手紙で『本能寺の変』を必然と納得したようで、彼女の父親への敬愛は終生変わりませんでした。しかし他の兄弟姉妹が悉く殺されている中、彼女だけが生き延びたのは夫、忠興の愛情よりも前に、舅藤孝とともに、明智支持は打ち出さないけれども、万が一明智が勝利した場合の人質として交渉材料に使用としたのではないか、と言われています。明智光秀と藤孝は長い付き合いですが、親友というほどではなく、それに最初は藤孝が身分的上でしたが、光秀が織田家中で出世するにつれて立場は逆転。軍事指揮下のみならず領地支配に関しても支援される立場になっていましたから、そのあたりにわだかまりがあった可能性が指摘されています。

 生き延びはしたものの世間は『謀反人の娘』と後ろ指を指しますし、評判を気にする当時の武士として、不名誉な存在としてガラシャを喧伝する訳にはいかず、屋敷内に閉じ込めておく他ありませんでした。それにフラストレーションを持った彼女が、高山右近や改宗した義弟の影響からキリスト教に救いを求め、改宗してからは精神的に安定したようです。

 んが、関ヶ原の合戦で東軍方になった(というか石田三成とは個人的に相いれない理由があり、ほぼ敵同士みたいなものなので東軍方になる以外ありえなかった)長岡家の名誉の為に、人質に取られる前に殺される、という選択をします。『謀反人の娘』という不名誉に命を惜しむが加わっては・・・という事で、段階的な交渉を行う事は事前に決まっていたようですが、最終手段は留守居役たち諸共の死を選択するよう取り決めていたようです。名誉を守っての死が賞賛されるのは、それが稀な行為であり、そもそも生き延びる事を至上命令としていた中世の人々にとって、ほんとにほんとの最後の選択が自死でした。自死の結果、家が存続するとか、命の限り戦って落城とともに自死するという武名を尊ぶとか、そういう交換条件でもないかぎり選ばない。だからこそガラシャの死は彼女の『謀反人の娘』というレッテルを見事に上書きしました。ご本人は死んでしまうけれども、遺族に、特に長岡→細川家に与えた恩恵は計り知れない。

 その賞賛から次第に実像から離れてイメージの世界へ、『戦国女性の悲劇』だったり『殉教のキリスト教』みたいな悲劇のヒロインとして形成されていくのですねー。だから割とヨーロッパ系の研究者が彼女を取り上げたりもしています。

 アタクシ個人としては、光秀から彼女に当てられた手紙なり、文章なりが残っていたら、彼女が納得したという『本能寺の変』の真相が解るのに、と残念に思ったりしますが。