pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

賭けに負けた人

 読み終わった後の感想は、それでした。

 

 だいたい十数年前の発刊なので、もしかしたら新しい資料とかが発見されたのかも知れませんが、主に『御館の乱』について知りたかったので・・・買いました。図書館で借りたかったけど、まぁ・・・はい。

 上杉謙信の最初の名乗りをもらった北条氏康の息子なのですが、実父、養父が戦国期のビッグネームであるにも関わらず、一次資料は少なく、出てくるのは越相同盟の証人として北条家から上杉家に送られ、謙信姪と結婚して北条の援軍としてふるまう上杉謙信の軍に同道したこと。あとは彼の滅亡に繋がる謙信没後の『御館の乱』ぐらいです。

 御館の乱は彼と上杉景勝による謙信後継を争うものと理解されているのが通説ですが、実は謙信の後継者は上杉景勝で確定しており、上杉景虎の出る幕はなかったというのが最近の理解です。んぢゃあなんで争いになったのかというと、事の発端は謙信没後で三条という地で諍いが起こり、本来ならば当主となった景勝にお伺いを立てて処理する案件を、その地の支配を任されていた神余親綱という武将が「先代の時もそうだったから」と自分で裁決してしまったということ。元々三条という土地は、謙信の側近中の側近ともいうべき山吉豊守が治めていたのですが(この人、メジャーじゃないけど、一時期の謙信外交を一手に引き受けていて、そして謙信自身も短気で扱いづらい性格らしく、三十六歳で早死にしてます)、跡継ぎなしで亡くなったので、もともと京で越後上杉、そして長尾氏の大使みたいな活動をしていた神余親綱が越後にやってきて支配を任されます。遠隔地で外交官やっていた人が国内統治を抜擢されたみたいな。当時の通信頻度からすると、独自の裁量権を持たないと外交官なんて仕事にならないので、おそらくそれが習い性になってしまい、相続間もない景勝の手を煩わせる事もないと、やってしまった可能性がある、と思います。それを咎められて、こじれて、その三条というのが上杉一門の利権に関わっていたから、上杉を名乗る家がだんだん景勝と対立していき、その流れを見て国人領主たちが反乱を起こしていく、というのが御館の乱の始まりのようです。

 景虎はそれに旗頭として担ぎ上げられたと。しかし動機ははっきりしていません。まず彼は客分みたいな立場で、北条との同盟が決裂した後は上杉一門待遇ですが軍役を課せられず(つまり軍事力を持たない)飼い殺しみたいな状況。妻は景勝妹なので、黙っていれば景勝当主でも親族として立場は保証されたはずです。怪しい動きは謙信姉で景勝、景勝妹の母親である仙桃院で、景勝側、景虎側、どちらか一方についたという伝承が残っています。娘婿に息子と争うように仕向けるなんて、ちょっと想像できませんが、景虎が反旗を翻すきっかけは彼女の動きぐらいしかないようです。別の本で神余と景勝の間に立って調停していたら、反乱側立っていた、なんて話を読んだ記憶がありますが、なんの本だったかは覚えていない(オイ

 本人としては飼い殺し状態の脱却を図ったという事ですが、兵力で勝る反景勝側ですが国人領主が多く、つまり一つにまとまる事がない。最初の発起人みたいな他の上杉一門はまったく動きが見えず、戦略を練り指示するのは景虎一人。期待した北条の援軍は関東での対陣で動けず、代わりに出張った武田勝頼は思惑通りに動かず、反乱側は各個撃破され、本拠の御館は孤立し、疲弊し、結局最後は全滅という事になります。

 なんかねー、この人が上杉一門になったきっかけの越相同盟も、これは北条氏康の個性が生み出したものって感じがして、氏康って人は戦術眼があって勝負勘が鋭く、思い立ったら即実行、みたいなところがあって、どちらかというと政略の人である氏政に窘められている事もあったようです。自分が決めた法律を自分が破っちゃダメでしょ、みたいな。もし当時の北条家の最高指揮官が氏政だったら、越相同盟を結ぶかな?と思います。長年の宿敵で、しかも遠距離。自分たちが敵対している関東の諸将の後援者な訳で彼と同盟を結べれば後背を気にせず武田と殴り合えるでしょうが、そんなに簡単に状況を変化させられるものだろうか?特に直接殴り合っている関東の諸将は納得しないだろうし。だから氏政なら現実的な線で武田と早々に手打ちしてしまうのではないかなーっと。奥さんは信玄の娘だし。

 最近、動きが派手な氏康とか謙信よりも、氏政みたいな手堅い武将の方が自分は好みに合うなぁとか思うのですよ。謙信は氏政が凄く嫌いみたいで、たぶん超現実主義者なところが気に入らないのではないかと思うのです。

 派手な親父の直感勝負のおかげで人生変わっちゃった・・・景虎ってそんな人かも知れません。