pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

再起動で治る

 いや、今朝がた、キーボードが反応しなかったので。いじっても判らない不具合は、だいたい再起動で治るという信仰を抱いて生きています(アホ

 治らないと発注とかもできないからヤバいんですよ。まぁFAXとか電話とか、発注経路は他にもありますが最速はネット発注だし・・・そっか、冗長をなくすと緊急事態でヤバくなるんだよなー。「無駄をなくす」は絶対正義ではないよなー。緊急事態にこそ、あり方が問われるというものです。自分ですか?ダメですね(オイ

 まったく関係なく読み終えた本に。

 

 先日出た『図説 武田信玄』と対になるみたいだな、と勝手に思ったりしたり。

 以前にも同じ著者の方の上杉謙信評伝を読みましたが、こちらは図説、時系列順という事で、謙信の生涯を順を追っていきやすいです。

 『義』の武将と言われ、三十年ぐらい前は多くの著名人が尊敬したりしていましたが、自分はその頃から、というか農閑期に関東に出兵して、飢餓を輸出しているのでは?という説に接してから、歴史上の人物を崇拝するのって信仰とかで理屈とかではないから、自分が疑義を感じたら習わなくてもいいよねーっとか思ったりしたりしていましたね。彼の場合も願文とかを都合のいい部分だけ切り抜きして評価されているっていう感じで、格好いい事を言うのと同時に虐殺も行っているし、敵対者をあしざまに罵ったり・・・少なくとも敵対者を称えるとかそんなスポーツ格闘技の選手みたいな事はしていませんね。

 良くも悪くもその時代の人間であるという事と、帰依していたのが他の戦国期大名の中では珍しく、高野山、つまり真言宗で特異だという事が目立つのかな。生涯不犯も真言密教の秘儀を行う僧侶であるならば、なんか合点がいく。まぁ出家したのは晩年ですけれども、修験者的な生活をしていたのではないでしょうかね。

 自らの社会的地位上昇を図る為に行った事が、実を結んだのが信長、結ばなかったのが謙信かな、と感じる事があります。両者ともに方や足利将軍、方や関東管領古河公方を推戴して、畿内や関東の政治状況に参入しますが、苦戦しながらも畿内平定を成し遂げた信長、十数年かけて結局関東諸将に距離をおかれてしまった謙信と思ったりします。敵対した三好家と小田原北条家とでは、その性質が違ったのか、はたまた介入頻度、身の入れ方が異なったのかどうか。

 これは世間に対する接し方も関係しているかも。必ず周囲、一般のコンセンサスをとる様努力する信長と、周囲の理解が得られないとたびたび出奔、やっている事を放擲したがる謙信。その辺の同時代人による信頼度も関わってくるかも。

 そんな事を考えましたねー。