pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

手薄なところを攻めてみた

 ゲームとかぢゃないです。自分が幕末の事、良く知らんので・・・というか、他の時代に比べてあんまり興味を持てる人物がいないので調べる気が薄い。それでも手ごろな新書の評伝なら読んでみようかと借りてみた次第。

 

  土佐の国持大名山内氏の中で一番知名度が高い人ですかね。藩祖山内一豊との血縁があるかどう知りませんが、まぁ藩祖とは真逆な人間性ですね。真面目、律儀な藩祖とは異なり、才人、酒飲み、粋人、その上病弱。封建領主ゆえの気位。頭のいい人間にありがちな、こらえ性の乏しさ。好悪の感情の激しさ。一豊のプライベートな資料が少ないので、乱暴な話ですけれども、武芸に秀でず、体当たりで、戦傷を受けながら渡り奉公槍働きをしていた泥臭さとは無縁の人です。立場が違うからってのもあるけど。

 その才能故に幕末の賢侯の一人に数えられ、政局にも積極的に絡み、同じような性格、人となりの一橋慶喜とは馬が合い、大政奉還にも尽力しますが、なんかね、政治的に孤立した薩摩の策動(というか陰謀というか)が炸裂して鳥羽伏見の戦いで徳川家が朝敵認定されてしまうと勝負あった、という感じ。江戸の薩摩藩邸が襲われた件も、不逞浪士の強盗とか強迫とか、そういう事を行った輩を匿ったせいなので、犯罪行為を行ったのは薩摩側と言っても過言ではない。

 容堂自身、西郷隆盛の人柄は(記録に残っていないけれど)好感を持っていたようですけれども、大久保利通の僭越やら陰謀家の性格は大嫌いで、その上、薩摩の老君島津久光とも仲が悪いとか、薩摩を芋よわばりして、本当に嫌いだったようです。というても長州が攘夷、攘夷と騒いでいた時は長州が大嫌いで、まぁ容堂自身は穏健な保守派であり、開国佐幕傾向から諸侯連合の政府をつくるとか、まぁ混乱の少ない方向での改革を志向していたので、過激な連中、しかも身分が低い連中の熱狂的な言説が嫌いだったようです。

 もっとも、この人、大酒のみの酒乱気味なので、酒の席での暴言は激しくて手に負えないみたいですけれども。

 結局『勝者の中の敗者』みたいな立ち位置になってしまったと著者に言われています。決定的な政治局面で病気を理由に主導権を握らない、その行動が勝ち組になれなかったという。

 この評伝を読んで思った事は、容堂どうのこうの、というよりも「薩摩汚い」という印象ですかね。これは大久保利通くんの功績ですかね。暗殺されても仕方ないやり口で、独善的で策謀的に、つまり敵対者を排除する手法で物事を進めがちなので、恨まれやすいわな、と。幕末明治初期の本を読むと、いつも漠然と感じるのですけれども、勝者が利益を独占したが為に人材不足に陥っているのではないか、なーんて思えたりするのですよね。なんか、こういうところも、あんまり好きになれないところかも。

 結局容堂の病気は良く解らないのですが、毎日大酒飲んでいるから内臓系の病気をいくつも抱えていたって事ですかね。同時代人の個人的な評価は高いけれども、性格が災いして業績を残せなかった人って印象ですかね。