pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

キャラクター性

 ニッチな評伝だよなぁって気になっていたので、図書館に見つけてしまいましたから借りました。

 

 この名前でピンとくる人は『平家物語』をご存じの方でしょう。一の谷合戦で勝敗が決し、源氏側は掃討戦に入るとこ。源氏側の熊谷直実は海へと逃れる大将クラスと思しき武者にダメ元で一騎打ちを申し込みます。てっきり逃げてしまうかと思いきや、相手も踵を返して向かってくる。激しい一騎打ちの果てに熊谷直実は相手に馬乗りになり、止めを刺すばかりとなった時に、ようやく相手が紅顔の美少年、年のころは自分の息子と同じころの若武者であると気づきます。ここでためらってしまう直実。早く討てと促す若武者。背後からは味方の同僚が迫ってくる。やむにやまれず若武者を討ち、遺品から相手が笛の名手平敦盛という公達と知り、世をはかなんで出家する・・・みたいなストーリーなのですがね。

 んが、同時代資料ではこの事件を確認する事は出来ないそうで、編纂物か軍記物にしかない事件。熊谷直実という人も、のちの長州藩では大身の武士なのですが、この当時は若くして父親を亡くし、引き継ぐべき領地も親族に横領され、本人と息子以外は重武装の武者はいないという零細御家人。治承・寿永の内乱は手柄を立て領地を獲得する絶好の機会とばかりに勇躍大活躍。頼朝から本邦第一の勇者と称えられるほど。まぁそのせいで小山あたりの大名からは失笑されていますけど(「俺らは部下に命じて手柄立てるからのぉ。あちらは自分で立てねばならんからご苦労さんやなぁ」みたいな)。

 そんなイケイケな人ですからなかなか強烈なエピソードが多く、「御家人には鎌倉殿の前では皆平等じゃねぇのか!!」と吠えたり、頼朝のお裁きが不服だと言って「やってらんねぇ!!」と出家したりと、直情径行なエピソード満載。それだけでなく出家した後もちょうど浄土宗を起こした法然の弟子になるのですが、往生する方法を聞きに来て、刀を研いでいる。なんでかと尋ねると「往生するには腹を切らねばならんと言われたら、その準備で研いでいる」って。んで念仏を唱えるだけでいいよ、と言われると涙を流して喜んだと。この辺、著者は「殺人の上手」という武士と言えども今風に言うならPTSD・・・戦闘ストレス反応を持っていて、つまり散々人殺しをしてきた自分なのだから、極楽浄土に行くにはそれ相応の犠牲を払わなければならないと思っていたみたい、という。そうかも。

 それはともかく法然の弟子になってもいう事やる事型破りで、まるで「水滸伝」の魯智深和尚みたい。法然九条兼実法話を聞かせてくれと呼ばれると、呼ばれもしないのに一緒に行って、出家と言えども地下人だから軒下に控えるしかなく、法話が聞こえない、仏の前では皆平等ではないのか!!と騒ぐので九条兼実は仕方なく上げてやったとか。当時予告往生というものが流行っていて、それをやって一度目は延期して、ぶうぶう言われて、二度目でちゃんと往生して拝まれたとか・・・どうやってそんな事をやるんだ?死期を予知なんてできないから服毒自殺でもしたのか?とか思ってしまいますが、まぁそういうキャラクター性の人だったと。それが当時から知られていたから『平家物語』でもありそうなエピソードとしてつくられたのかも知れません。

 あ、余談ですが新渡戸稲造って『武士道』って本をアメリカで病気療養中に書いたらしいですね。どうもアジア人と見下されるのに我慢ならなくて、西洋人が大事にしている騎士道に似た武士道がこっちにもあるんぢゃあ!と、子供の頃から聞いた講談ネタを思い出して、参考文献もなく、西洋人向けに英語で書いたものらしいです。知らんかった。なので彼の『武士道』が観念的なもので彼自身のファンタジーであるのは仕方ないし、これからはあんまり揶揄しないでおこうと思いました。

 あ、でもその新渡戸稲造の『武士道』をありがたがる人は揶揄しますが(オイ