pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

『信長の野望』はファンタジー作品

 いや、もう何十年も遊んでいませんけれどもね、『信長の野望』。でもゲーム配信とかね、データとかはね、好きなので見ているのですよ。んで日本中世史の最近の研究成果とかに触れるとね、『信長の野望』の作品世界との乖離が酷くなっていくのですよ。未だに信長=革新性キャラだし。最近の評価は既存勢力の権益保護ですからねぇ。そうぢゃないと既得権益者たちから猛反発くらうし。信長が足利将軍と結果的に敵対するのは保守VS革新なんてイデオロギーの話ではなく、政治的同盟相手を足利義昭が信長から反信長勢力に転換した為に起こった話で、それ以上でもそれ以下でもなく、信長が足利将軍を問題にしなくなるのは自身が朝廷から武家の棟梁と認められ、義昭に匹敵する公卿としての位階をもらったからだと思うのですがね。権威を他者ではなく自身が担う事によって問題解決した、と。ついでに公家や寺社仏閣の領地横領問題は、土地そのものは諦めさせ、収入を補償する形で解決を図っていて、それが革新性なんですかね?

 なんでそんな話を始めたかというと、室町ガチオタの動画実況者の人がですね、初めて『信長の野望』最新作をプレイして、色々設定で突っ込みを入れているのを見ましてね。そうだよねー。最新研究成果とは乖離しているよねー、という事をうなづいちゃったからでして、一色家の当主たちを見て「こいつら誰?」とか(戦国期の一色家当主は諱が伝わっていないわ、系譜もはっきりしないわ、という人ばかりだが、ノブヤボは軍記物か何かの登場人物を採用している)、能登畠山家の高評価って何?畠山本家の方がよっぽど活躍しているのに、とかね(能登畠山義総がノブヤボで高評価されている理由は良く解らない)

 そういえば将軍側近として活躍した大舘親子とか、ノブヤボでは登場していないなぁって、動画実況者さんが自作してゲームに登場させているのを見て思ったり。イベントである時は「伊勢宗瑞」って書いたり、ある時は「今川家の軍師、北条早雲」って書いたり・・・もう戦国時代に『軍師』はねぇだろ、とか思ったいたから、過去のイベント記述をそのまま採用しているんだなぁ、と気が付いたり。

 まぁゲームはゲームシステムが面白いかどうかで評価されるべきだと思うけれども、歴史ゲーとか原作アリゲーって、こういう設定警察からは逃れられないよね。というか、自分が知った史実と、ノブヤボの設定の乖離が著しくなったのも、自分がノブヤボしなくなった理由の一つなんですが。最大なのはリアルタイム展開についていけなくなっただけです(あ

 読み終わった本が・・・あ、あったわ。それは来週に回そう。

 感想だけでは文字数を埋められないなーっと思ったので、そんな事を書きました。