pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

路面は凍結しなかったけれども

 近年の名古屋は温暖化の影響で最低気温がマイナスになる事が稀なのですが、今朝はマイナス三度、ところによってはマイナス四度にもなろうかという寒さになりました。降雪は幸い、昨夕で終わり、積雪も少なく、路面凍結もなかったようです・・・少なくとも自分が通った車道は。歩道は解りませんけれども。予報では今日午前中はまだ降雪の可能性があるそうなので、油断できませんけれども。

 子供頃は積雪で遊ぶのが楽しかったのですけれども、大人になると交通の便が、と心配する事の方が多いのは、関心がある方面が変わったからなんでしょうねぇ。子供はそこまで考えないし、大人も雪で遊ぶ事を考える人は・・・いない事はないけれども少ないよなぁ。って書いていたら風花が待っておりますがな。やーめーてー。

 さて、まったく関係ありませんが読み終わったもの。

 

 物語では良く取り上げられる織田信秀娘、信長妹のお市の方ですが、編纂物による記述が多いけれども一次資料が残っていないという存在で、本格的な評伝は本書が初めてだそうです。まぁそうか。というか織田家の家族関係の研究が脆弱で、未だに系図類を鵜呑みにするしかなく信秀娘の生年順も良く解っていないという・・・まぁ本書では一応末女であると推定していますがね。

 結婚のタイミングも美濃一色家(斎藤家という呼称は尾張織田家側からの呼び方で、実際は家格上昇を正式に将軍足利義輝により認められているので)に対する遠交近攻同盟と思っといたのですが、浅井家が織田家と同盟を結んだのは隣国美濃を織田家が領有してからだそうで、お市浅井長政の結婚も織田家美濃領有後だそうです。

 また浅井家は北近江の京極家を主家と推戴しながら、実力的には南近江六角家に従属し、そこから自立を図るも単独では達成できず、結局越前朝倉家に従属していたという、つまり戦国大名というよりも国衆と表現すべき存在だと。

 これなら越前朝倉家を織田信長を中心とする連合軍が攻めようとした時、信長を裏切るのも納得です。婚姻関係のある同盟といっても浅井家は織田家に比べると規模が小さく、信長も朝倉、織田と両属状態であると認識していたのでしょう。んで妹婿なんだから従って当然だよな?と思っていたから浅井家が朝倉家に味方する事を選択した事にうろたえた訳で、これは信長の認識不足ですかね。

 しかし結局朝倉家き滅亡し浅井家も滅ぼされますが、お市は長政と運命を共にする事を望んだようです。これは愛情からというより嫁いだからには婚家に殉じる事が名誉を守る事、と考えていたからのようです。これは長政とともに死ねなかった事を「口惜しい」とお市の方が考えていたという目撃証言からきています。戦国大名(国衆)の婚姻で離婚という事例は非常に少なく(ほぼない)実家と婚家が戦争状態になっても婚家に留まります。これは戦争も外交の延長線上であり、交渉窓口を確保する為に必要であったともいいます。正妻の近辺には実家出身の家臣が必ずいますからね。水面下の和睦交渉を打診するには打ってつけです。このあたり、宣戦布告すると大使を引き上げさせたり、追放したりする近代国家よりもよほど交渉チャンネルを重視していると思うナ。近代国家は戦争を殲滅戦という、より凄惨なものにしてしまうような気がする。

 本能寺の変後、彼女が柴田勝家と再婚したのは、織田政権の主導権争いとか、恋のさや当てとかではなく、清須会議に参加した四宿老で織田家と姻族でなかったのは柴田勝家だけだったので(秀吉の養嗣子は信長息子。丹羽長秀息子は信長の婿、池田恒興は信長乳母子で乳兄弟)バランスをとる為に秀吉も了承した結婚でした。まぁ物語的には面白い展開ではないですわな。

 となると柴田家滅亡に殉じたのも、今度こそ婚家と運命を共にする、という決意を全うしたと言えます・・・娘たちの運命よりも自身の名誉を選択するところが凄い。でもまぁ、織田信長養女の資格で浅井長政に嫁いだとも、信長母の養女になったとも言われる彼女は織田家嫡流に属するとみなされ、三姉妹も浅井家娘というよりも織田家嫡流に属する娘と認識すれば、主家織田家を尊重しなければならない秀吉が粗雑に扱う事はないだろうと。

 また秀吉の羽柴家内の認識として、正妻寧々に子がない以上、嫡子は織田嫡流家出身、もしくはその血を引くものでなければならないと秀吉、寧々夫婦で合意していたようです。信長息子である養嗣子秀勝が亡くなった後、比較的早い段階で秀吉は長女茶々に結婚を申し込んでおり、茶々も妹たちの結婚を手配する事を条件に承諾しています。実家も実母も亡くなった浅井三姉妹が世俗で生きていく道は、なるべく大身の武家(公家でも)嫁ぐ事でしかありえなかったので。

 最初に結婚した二女初は身内婚と言える京極高次(従弟関係)と、三女江は天下人路線を走り始めた秀吉身内との結婚が決まります。徳川秀忠との再婚も、秀吉義弟である家康の嫡子、という事で秀吉の義理の甥との結婚ですもんね。

 ちなみにお市は同時代情報として『美人』と認識されていたそうです。亡くなる前に三姉妹を送り出す為に北庄城『三の間』まで出てきたお市は十二歳ほど若く見えたといいます。夜だったらしいので松明灯りによる補正もあるでしょうが、なんとなーく、今度こそ自分の思い通りに人生を決定したわ、という晴れ晴れとした気持ちが、そう見せたように思えてなりませんねー。

 激しい女性だわ・・・

 あ、いつもの倍の分量を書いてしまいましたね・・・